HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 17847 Content-Type: text/html ETag: "4ff8b1-45b7-a1955b80" Cache-Control: max-age=5 Expires: Sat, 20 Mar 2010 00:21:11 GMT Date: Sat, 20 Mar 2010 00:21:06 GMT Connection: close
Astandなら過去の朝日新聞天声人語が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
日本で携帯電話が広まるのは1990年代後半だ。〈ホームの公衆電話に長い列〉といった手記を読み返し、普及率が10%に満たない「携帯以前」の凶事を実感した。地下鉄サリン事件から15年になる▼一報は8時9分、茅場町駅からの119番「お客さんがけいれん」だった。八丁堀、築地、神谷町と、日比谷線の各駅から救急要請が相次ぎ、東京消防庁は大混乱に陥る。3路線5本の電車を襲った毒ガスで13人が死亡、約6千人が負傷した▼「どれほど息苦しかったのか、主人のことを考えるとき、私は呼吸を止めてみることがある。このまま死んでもいいと思うことさえある」。霞ケ関駅助役の夫を亡くした高橋シズヱさん(63)の記だ。被害者の会代表としての日々を顧みた著書『ここにいること』(岩波書店)にある▼21歳で心身をボロボロにされた女性は、退院後も窓から白煙が忍び込む夢にうなされた。現場に居合わせた己を責め、自殺を考えた。でも高橋さんの陳述を聞いて甘えに気づいたという。「少なくとも私は、大事な人を一人も失っていない」と▼後遺症に苦しむ人、職場で孤立し、仕事を辞めた人もいる。そして、なお続く教団、裁判、賠償交渉。数え切れない人生を狂わせ、オウムによる無差別テロはまだそこにある▼億万の涙に換えて、犯罪被害者の扱いは改善された。だが、人の不幸にますます鈍い世である。1人1台の携帯が車内を「個室」にしたように、つながりより閉じこもりが優勢だ。あの日に共有した恐怖と怒りだけは、歳月から守りたい。