HTTP/1.1 200 OK Connection: close Date: Sun, 14 Mar 2010 20:14:39 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Age: 0 東京新聞:週のはじめに考える イラク戦争とメディア:社説・コラム(TOKYO Web)
東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 社説一覧 > 記事

ここから本文

【社説】

週のはじめに考える イラク戦争とメディア

2010年3月14日

 イラク戦争は二十日で開戦まる七年。武力行使の是非で日本の新聞、言論界を二分した「大義なき戦争」は今も報道と言論のあり方を問い続けています。

 「万人が認める『正義の戦争』などありようがない。イラクの無法と米国の傲慢(ごうまん)が不必要な戦争を生み出した。国際社会は『終わり』を引き寄せるべく迅速に行動を起こすべきである」

 これは米英軍によってイラク攻撃が開始された翌日の二〇〇三年三月二十一日の本紙社説です。

◆現実化した社説の懸念

 前日の社説でブッシュ前米大統領の最後通告に「イラク攻撃・それでも賛成できない」と主張した本紙は、米英軍の波状攻撃に「軍事施設の破壊だけで済むならまだしも、時を刻めば刻むほど兵士も市民も血にまみれ、国土は荒廃する」と“一刻も早い終結を”と訴えています。

 脅威を未然に防ぐという先制攻撃論に対して、許されざる国際法違反と反論し批判したのは言うまでもありません。

 残念なのは社説の懸念が次々に現実になっていったことでした。

 イラク戦争は、同年五月一日のブッシュ大統領の大規模戦闘終結宣言から戦闘が本格化する皮肉な戦争でした。自爆テロに宗派間と民族間抗争が加わり、まさに「市民が血にまみれ、国土が荒廃」していきました。

 犠牲者は米軍と多国籍軍側が四千人、イラク側は市民も含め既に十万人に達しましたが、戦闘はやまず、さらなる犠牲者が生まれています。テロとその危険性も世界に拡散されてしまいました。

 開戦理由だった大量破壊兵器は存在しませんでしたが、米ジャーナリストの調査報道「戦争大統領」(毎日新聞社)は、イラクの核開発計画は湾岸戦争時の空爆の偶然の施設破壊などで、十年前には消滅していたことが明らかにされています。

◆道義なき国益論の罪

 大量破壊兵器もフセイン政権と国際テロ組織アルカイダの関係もイラクの脅威をあおる情報操作だった疑いが濃厚で、イラク戦争にブッシュ政権の中東の石油資源への野心をみる識者が少なくありません。

 大義も正当性も欠いた戦争でしたが、軍事行動の賛否で日本の新聞も言論も真っ二つでした。武力行使支持は日米同盟重視の国益論からで、そこにも濃淡があり、積極容認からやむを得ぬ派までの政治的現実主義路線でした。

 日米同盟重視に異論はありません。しかし、道義なき国益が成立するとは思えないのです。

 「イラクの独裁者の脅威は罪なき多くの人々を殺す戦争を正当化できるほどのものではない」と言ったのは当時のシュレーダー独首相でした。イラクの十万市民の犠牲と引き換えの国益に人は耐えられるものでしょうか。それに先制攻撃の容認は疑心暗鬼と恐怖の世界を生みだします。同盟国ゆえの直言や切言もあるはずです。

 このイラク戦争を判断する際のふつうの人々の立場は、本紙にとって最も大切で、沖縄の米軍普天間飛行場移設問題でも貫きたい基本姿勢です。沖縄県民の思いを踏みにじっての移設は裏切りで、可能でもないからです。移転問題のなかに従来の国益論や政治的現実主義の呪縛(じゅばく)を脱した日米同盟深化を期待したいからです。

 責任あるジャーナリズムであるためには報道と言論内容の不断の検証が不可欠です。イラク戦争でも米紙ニューヨーク・タイムズは、開戦から一年二カ月後の〇四年五月、記事内容を検証のうえで社説で謝罪しました。情報の吟味が十分でなく、政府情報をうのみにしたなどの内容です。ワシントン・ポストは同年八月の長文の自己批判記事でした。

 翼賛報道一色で、ジャーナリズムは死んだともささやかれた米メディアの復元力の秘密は真摯(しんし)な反省と自己への問い掛けにあるようです。政権を揺るがす特ダネや調査報道の力作でジャーナリズムをよみがえらせています。

 イラク戦争では反戦を貫くことができましたが、新聞の歴史で忘れてはならないのは一九三一(昭和六)年の満州事変。リベラルで軍部を批判する良識を示してきた新聞が柳条湖での南満州鉄道爆破で一瞬にして変わってしまったからです。十五年戦争の昭和の破局まで一瀉(いっしゃ)千里でした。

◆何より思いやりの新聞

 長期不況での生活苦、大学は出たけれどの就職難、将来不安と時代の閉塞(へいそく)。リーマン・ショック後の平成二十二年が大恐慌下の昭和初期と似ているのも不気味です。

 時代精神が健全であるために、自由と見識と思いやりの新聞でありたいものです。ジャーナリズムが未来に希望をつなげていかなければなりません。

 

この記事を印刷する