富士通元専務の池田敏雄氏といえば、1950年代から70年代にかけて日本のコンピューター開発をけん引した技術者として知られる。が、最初は苦杯をなめた。株式の取引を精算するシステムの受注競争で、米国勢にあっさり敗れた。
▼開発を始めたばかりのコンピューターは、速さが海外製よりひとけた遅く、負けは当然だった。それでも思わぬ効果があった。果敢に海外勢に立ち向かった開発陣に、社員の関心が一気に集まった。「あの熱気が後の成功につながった」と、開発チームにいた山本卓真元社長は本紙の「私の履歴書」に書いている。
▼そうした社内の一体感を、今の富士通には望めない。昨年9月に野副州旦(くにあき)前社長が辞任した理由を、会社は「病気療養のため」としていたが、本当の事情を伏せていたことがわかった。野副氏が好ましくない企業との関係を続けていたためという会社側に野副氏側は反論、混乱が続いている。社員は不安のはずだ。
▼株式取引の精算システム受注に参戦したのは、実力を世の中にさらし悔しさを糧にしたかったからだろう。改良機は湯川秀樹博士も、性能に驚いた。野副氏が辞任したとき会社が事情を隠さず説明していれば、社内が危機感を持ち企業統治改革につながったかもしれない。自らをさらけ出すかつての気風がほしい。