HTTP/1.1 200 OK Connection: close Date: Wed, 10 Mar 2010 21:16:06 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Age: 0 東京新聞:東京大空襲の四時間後、高度一万メートル付近から米軍機に撮影…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

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2010年3月10日

 東京大空襲の四時間後、高度一万メートル付近から米軍機に撮影された写真が先日の本紙一面に掲載されていた。隅田川を中心にして焼き尽くされた下町の住宅地が白っぽく写り、焼失を免れた黒い地域と対照的だった▼南千住付近にまだ煙が上がり、上野駅の東側や御徒町から浅草橋にかけての一帯は、焼けていないことが分かる。きのう、焼失を免れた台東区の下谷神社の周辺を歩いてみたが、戦前からの古い建物が数多く残っていることに驚いた▼「家に落ちてきた焼夷(しょうい)弾をおやじが消し止めた」と語ってくれた時計店のご主人がいた。関東大震災後に建てられた木造の長屋が、現役で奮闘する姿を見てうれしくなった▼大空襲当日は強い北風が吹いていた。風向きや強さが違っていたら、この一帯も焼け野原になっていたかもしれない。下町の住民の運命を左右したのは、気象条件のわずかな差でしかなかった▼あの日、首都上空で爆撃機B29と対峙(たいじ)した戦闘機「飛燕(ひえん)」の搭乗員の体験が以前、本紙で紹介された。操縦席のすき間から鼻を突く臭気が立ちのぼっていたという。人が焼けるにおいだった▼十万人が殺戮(さつりく)された東京大空襲から、きょうで六十五年。体験者が減っていく中、貴重な証言が社会面などに掲載されている。歳月を経てやっと語れるようになったという人もいる。地道に掘り起こす取材が新聞の使命だ。

 

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