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日米密約報告―国民不在の外交にさらば

 民主主義国の政府が、国家の根幹にかかわる外交・安全保障政策をめぐり、何十年にもわたって国民を欺き続ける。あってはならない歴史に、ようやく大きな区切りがついた。

 1960年の日米安保条約改定と72年の沖縄返還をめぐる四つの日米密約について、岡田克也外相が設けた有識者委員会の調査報告書が公表された。

 今回、検証された密約は、いずれも米国側の情報公開や関係者の証言で、かなり以前から「公然の秘密」となっていた。にもかかわらず、歴代の自民党政権はその存在を否定し、国会でウソの説明を繰り返してきた。

 壮大な虚構と、それを崩さないために演じられた悲喜劇に幕をおろすのを可能にしたのは、政権交代である。

 国民の生活や国益に直結する重大な政治判断は、長い時間が経過したり、局面が変わったりしたら、歴史の審判に付されなければならない。民主主義の大原則だ。検証の成果を評価し、外交への信頼の強化と民主主義の一層の成熟につなげていきたい。

■さらなる検証が必要

 四つの密約に対する報告書の認定には、濃淡がある。

 第一に安保改定時の核持ち込み密約である。核兵器を積んだ米艦船の日本への寄港や領海通過については、事前協議が必要な核持ち込みには当たらないとする「暗黙の合意」があったとして、「広義の密約」と認定した。

 外務省の事前の内部調査では、単に日米間の「認識の不一致」とされた。しかし、歴代首相も外交当局から説明を受け、米側の解釈に異を唱えなかった。密約との認定は当然だろう。

 一方、沖縄返還後の核再持ち込みについて、当時の佐藤栄作首相とニクソン大統領が署名した文書の現存を確認しながら、「必ずしも密約とはいえない」とした。これには首をかしげざるをえない。

 有識者委は3カ月余りの短期間で報告書をまとめなければいけなかった。米国側の当事者からのヒアリングも十分とは言い難い。

 今回、政府は報告書作成の資料とした膨大な外交文書を、秘密指定を解除して公開した。政府の調査は一段落だが、学界などで米側資料との照合も含め、多角的な検証を期待したい。

■自民長期政権の責任

 何より大事なのは国会の役割だ。衆院外務委員会は密約調査のための参考人招致を決めている。さらに真相に肉薄する使命がある。

 密約問題は、自民党長期政権が残した巨大な負の遺産である。自らの責任に正面から向き合ってもらいたい。

 密約の背景には、当時の政府が直面した深いジレンマがあった。

 国民の反核感情を考えれば、正面切って核搭載艦の寄港を認めることは政治的にできない。一方、米国は核兵器の有無を否定も肯定もしない政策を採っている。核搭載の可能性のある船の入港をすべて拒否していたら、米軍の作戦行動に支障をきたし、核抑止力が低下する懸念もある。そんな悩みだ。

 ただ、日本の安全保障上、寄港を認めざるを得ないと信じるなら、どんなに困難だろうと、国民に理解を求める努力を試みるべきではなかったか。

 かつて核搭載艦が横須賀や佐世保などに寄港していたことは間違いあるまい。「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」という非核三原則との矛盾は覆いようがない。

 そうした見て見ぬふりが、結果的に日本の安全を守ることにつながったという密約擁護論もある。しかし、米国は冷戦終結後の90年代初め、水上艦艇からすべての戦術核兵器を撤去した。核持ち込みの可能性が事実上なくなった後も20年近くも国民にウソを繰り返してきたことは言い訳できまい。

■三原則堅持は当然だ

 鳩山由紀夫首相は今後も、非核三原則を堅持する方針を表明した。

 日本の安全保障にかかわる危機の発生に備え、このさい核搭載艦の寄港は認める「2・5原則」に転換すべきだとの主張も出ている。

 しかし、現実に米国による日本への核持ち込みは考えられない。最悪事態の想定に引きずられて、三原則を見直すのは本末転倒でしかない。

 オバマ大統領が「核なき世界」を唱え、国際社会は核軍縮・不拡散への取り組みを強めている。三原則の堅持を足場に、できるだけ核への依存を低くした安全保障や北東アジアの平和構築に指導力を発揮することこそ、今の日本にふさわしい役割といえる。

 外交文書公開のあり方についても、根本から考え直したい。30年経過した文書は原則公開するというルールは日本にもあるが、例外扱いが多い。原則に従った積極的な情報開示を求めたい。政策決定過程をきちんと記録し保存することの重要性も銘記したい。

 有識者委は今回、あるべき文書がみつからなかったとして「遺憾」を表明した。01年4月の情報公開法施行を前に、密約関連文書が破棄されたとの外務省幹部の証言もある。事実なら、歴史の改ざんに上塗りをする行為であり、到底許されることではない。

 本来、民主主義国の外交に密約はあってはならない。万やむを得ず秘するなら、後世からの厳しい批判を覚悟しなければならない。政治家や外交官が常におのれに問うべきなのは、歴史に対する緊張感と謙虚さである。

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