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四季折々の詩を残したが、山村暮鳥といえば「春の詩人」だろう。のどかな牧歌を思わせるその詩群に「郊外小景」という一編がある。遠くに見える山なみは雪で白い。だが、よく見ると、山かげから一すじの煙が立っている▼〈おや、あんなところにも/自分達(たち)とおなじような/人間がすんでいるのだろうか/それなら/あの煙のしたには/鶏もないているだろう/子どももあそんでいるだろう……〉。煙の立つところ、人の営みがある。いまは「何軒」と呼ぶ家の数を、昔は「何煙」と数えたこともあったと、民俗学の柳田国男が書いている▼「くべる」という言葉が死語になりつつあると先ごろ書いたら、多くの便りを頂戴(ちょうだい)した。かつて火を焚(た)くことは身近だった。深い郷愁を年配の方々はお持ちのようだ▼勤めから帰った遅い風呂は、いつも母親が薪をくべてくれたと懐かしむ人もいた。松飾りを庭でくべて「小さな小さなどんど焼き」を毎年します、という文面もあった。ガスの青い炎にはないぬくもりを、くべるという行為は包んでいるらしい▼蕪村の〈春雨や人住みて煙壁を洩(も)る〉を思い出す。つましい山家で柴(しば)をくべている。壁のすき間から煙がもれ、芽吹きの細い雨にたゆたう様は、暮鳥の詩とどこか響きあう。一幅の絵を見るような名品である▼「くべる」への郷愁を懐古趣味と笑うなかれ。人が生きるための技術でもある。便りには、マッチを擦ったことのない若者がいて驚いたというのもあった。何かの折に困りはしないだろうか。老婆心がふと頭をよぎる。