HTTP/1.1 200 OK Date: Thu, 04 Mar 2010 21:16:06 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:裁判員と『死刑』 ともに悩み、考えたい:社説・コラム(TOKYO Web)
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【社説】

裁判員と『死刑』 ともに悩み、考えたい

2010年3月4日

 二人殺害の強盗殺人という死刑の可能性のあった裁判員裁判が鳥取地裁であった。今回は求刑、判決とも無期懲役だったが、裁判員が重い判断を迫られる時は来る。ともに悩み、考える時となる。

 被告は勤め先の会計事務所の社長と女性を殺害し、奪ったキャッシュカードで現金を引き出したとして強盗殺人罪に問われた。法定刑は無期懲役か死刑と重い。

 昨年六月以来、市民裁判員たちは、人を裁く難しさ、責任の重さを語ってきた。ましてや今回の裁判員らの重圧は相当なものだったに違いない。人の命を左右する役目を負った苦悩は判決後の記者会見の言葉にもにじみ出ていた。

 「被告にも被害者にも人間の尊厳がある。人の命の重さを考えて過ごした」。裁判員選任から判決までの九日間を男性裁判員は振り返った。被告や遺族の証言を百四十ページもメモにし、裁判官とともに評議に臨んだ。検察求刑の翌日は開廷せず丸一日、翌日も判決直前まで評議は続いた。何人もの裁判員が涙を流したという。

 判決は「命で償わねばならないとまでは言えない」と無期懲役を言い渡した。人の命の重さ、遺族の感情を考え合わせ、悩み抜いた末の結論だったろう。

 裁判員裁判で死刑求刑の公判は避けて通れない。年間十件前後とみられている。

 元最高裁判事の団藤重光氏は死刑事件の著書(「死刑廃止論」第四版)でこう述べている。「裁判官にとって事実認定がいちばん大事なことです。まさしく真剣勝負というよりほか言いようがないのです。まして死刑事件になると、いまさらながら事実認定の重さに打ちひしがれる思いでした」

 死刑か否か、否認事件では有罪か無罪かを裁判員は話し合い、一人ずつが決めねばならない。日本のように市民も量刑を決める参審制の国で死刑制度があるのは他にないという。

 今後は死刑制度そのもののあり方について議論は深まるだろうし、裁判員制度自体に対する真剣な意見の表明が市民の側からなされるのかもしれない。先の団藤氏は退官後、死刑廃止を唱えている。

 今回、二人の裁判員が記者会見に応じたが、評議内容はこれまで通り「評議の秘密」を理由に少しも明らかにされていない。重責を担う裁判だからこそ、国民共有の情報としてある程度は分かるよう制度運用の見直しの必要もある。

 

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