二十年ほど前になるが、三陸地方を旅した時に、三陸鉄道北リアス線の車窓から巨大な「壁」が視界に入った。かつて津波で壊滅的な被害を受けた岩手県田老町(当時)がつくった防潮堤だ▼一八九六年、一五メートルの津波で千八百五十九人、一九三三年には一〇メートルの津波で九百十一人の犠牲者を出し、「津波太郎(田老)」という異名を冠せられた漁業の町である▼惨禍を繰り返さないと誓う人々が築いたのは、高さ十メートル、総延長二・四キロという世界に類を見ない大防潮堤。今も要塞(ようさい)のように家々を取り囲んでいる▼地球の反対側で起きたチリの巨大地震で、気象庁はきのう十七年ぶりに大津波警報を発令した。約五十万人が自治体から避難指示を受け、鉄道の運休が相次ぐなど列島は混乱したが、被害が軽微だったことは幸いだった▼三陸沿岸などで死者・不明者百四十二人を出した六〇年のチリ地震では、各国で津波情報が十分共有されず被害が拡大。今回はジェット機並みのスピードで太平洋を横断する津波の情報が刻一刻伝わった▼田老町では三三年以降、津波が襲来した三月三日未明に避難訓練をしてきた。八十年近く犠牲者が出てないのは、住民の危機意識の強さのたまものだ。惨禍の経験は歳月とともに風化する。最新の津波情報を生かすためにも、心の防潮堤を高くする努力を続けなければならないのだろう。