落語家が中国公演で「パンダは何食べてんだ?…パンだ」みたいな小話をやる。だが、観客はシーン。しばし早口の中国語通訳があって、やっと爆笑が起きる−。三十年も前の、そんなコントを思いだした▼昨年、中国を旅した時である。現地の人たちと食事しながら種々話をする機会が何度かあったが、いちいち通訳を介する会話。言ったことが相手に伝わるまでに一拍、その逆方向でまた一拍と、まことにまどろっこしい▼だが実はそれが悪くないのである。丁々発止とはいかないがかえって分かり合えた気がした。双方にとって、常に一拍入るゆっくりしたリズムが、自分の発言を反芻(はんすう)し、じっくり相手の言に耳を傾けるいい「間」になっていたからだと思う▼それに比べると、平生の会話は猛スピードだ。思いが強いほど大急ぎでそれを相手に伝えよう、早く納得させようと焦りさえする。少しは「ゆっくり」の効用を考えてみてもいいかもしれない▼無論、異論もあろう。実際、リコール問題でトヨタの社長を呼びつけた米議会の公聴会では、通訳を介した社長とのやりとりにいら立った議員もあったようだ。だがこれだけは言える。誰がどんな場で発しようと、世界中の顧客を瞬時に納得させる「殺し文句」などない▼トヨタが今の「強い思い」を伝えたいならむしろ、ゆっくりじっくり、語っていく方がいい。