血の気の失(う)せていくのを感じた――。三洋電機の創業者、井植歳男さんはそう振り返っている。第1号商品の自転車用発電ランプを売りだした1947年。陳列台のランプに触れると、自転車に取り付ける部分が簡単に折れてしまった。
▼今も三洋電機はブラウン管テレビの不良品問題に揺れる。テレビの持ち手が破損するなどで多数のけが人を出した。小さな工場だった60年余り前は、出荷した商品を急いで回収して事なきを得たが、大企業になった現在は、よほどしっかり対応しないと深刻な問題になる。品質はますます重いテーマになっている。
▼企業が大きくなってもトップが現場の動きをつかんで、機敏に判断できるようにするには、どうしたらいいか。トヨタ自動車のリコール(回収・無償修理)問題もその点を投げかけている。フロアマットがペダルに引っかかるとの苦情が寄せられてすぐ対応したなら、問題は現在のようには広がらなかっただろう。
▼33年、現在の豊田自動織機の倉庫で自動車部として生まれたトヨタは、12の国内工場と53の海外生産会社を持つまでになった。トップと現場の意思疎通に目詰まりはなかったろうか。24日の米議会の公聴会に豊田章男社長が出る。その準備を通じ、どこに問題があったか、豊田社長は押さえつつあると期待したい。