バンクーバー冬季五輪で日本人メダリストを2人出したモーター製造の日本電産サンキョーは、2003年度まで3年間、赤字続きだった。当時の社名は三協精機製作所。精密モーター大手の日本電産が買収し、息を吹き返した企業だ。
▼すぐやる、必ずやる、できるまでやる――。日本電産の永守重信社長は長野県の三協精機に毎週通い、目標をあきらめない永守流を社員に説いて回った。30坪(約100平方メートル)の工場を、ハードディスク駆動装置のモーターで世界首位の企業に育てた経験を、三協社員にぶつけた。1円の無駄にも目を光らせた。
▼そうした永守流が、スピードスケート男子500メートルで銀メダルをとった長島圭一郎選手、銅メダルの加藤条治選手に乗り移ったかのようだった。前回のトリノ五輪ではメダルに届かなかった2人が雪辱を果たした。トリノでは13位に終わり、今回も1回目6位だった長島選手には、永守さんのような粘りがあった。
▼「1位」にこだわる永守さんは、「金メダルをとってこいよ」といって選手を送りだした。「銀と銅でも不満かもしれない」という声が日本電産サンキョーであがっている。たぶんそうだろう。再建中も、永守さんは士気を考え、スケート部を廃部にしなかった。「金をとるまで頑張れ」と思っていることだろう。