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ある行為がすたれたために忘れられていく動詞がある。「くべる」もその一つだろう。漢字で書けば「焼べる」となる。若い人はご存じだろうか。燃やすために、物を火の中に入れることを言う▼〈湯ぶねより一(ひ)とくべたのむ時雨かな〉川端茅舎(ぼうしゃ)。いまなら追い焚(だ)きボタンですむが、「ひとくべ」の言い方を懐かしく思い出す人もおられよう。とりわけ都会は火を焚く暮らしから遠くなった。正月の松飾りを燃やす機会がなくなり、生ゴミに出す人もいると先ごろの声欄にあった▼たしかに、どんど焼きの祭事は減った気がする。落ち葉焚きは何年も見ない。もはや「絶滅危惧(きぐ)種」らしい。童謡は歌えても、生き物のように変化し、飽きずに眺めていられる火を都会っ子は知らないようだ▼「火を焚きなさい」とわが子に呼びかける詩が、屋久島で暮らした詩人の山尾三省にある。〈やがて調子が出てくると/ほら お前達の今の心のようなオレンジ色の炎が/いっしんに燃え立つだろう〉▼〈人間は/火を焚く動物だった/だから 火を焚くことができれば それでもう人間なんだ……〉。そして火のある所、火を囲む行為が生まれる。〈一人退(の)き二人よりくる焚火かな〉久保田万太郎。だが、手をかざし、お尻をあぶりつつのコミュニケーションも今は遠い光景である▼囲む人々の中には、鍋奉行ならぬ「焚き火奉行」がいたものだ。生きている火は、燃やすというより「育てる」という言い方がふさわしい。「くべる」の語とともに、奥深い技術を忘れつつあるのかもしれない。