検察捜査は小沢一郎民主党幹事長には及ばず、側近議員らの起訴にとどまった。ゼネコンの闇は解明されたか。捜査は適正だったか。もどかしさが残る。
政治家が特定の業界や業者と癒着する、古い政治スタイルとは、もはや決別すべきだ。そうした国民の思いも、政権交代した原動力になったのは間違いない。
小沢氏の資金管理団体「陸山会」が二〇〇四年に購入した東京都内の土地取引をめぐり、巨額資金が動いた。政治資金収支報告書に虚偽の記入をした罪で、同会の事務担当だった石川知裕議員らが起訴されたのが、今回の事件だ。
東京地検は土地購入の原資にゼネコンからのカネが含まれていたとみて捜査した。とくに巨大ダムの公共事業を受注した「謝礼」というゼネコン側の供述も得たとされる。小沢事務所の影響力に頼った「闇献金」だったという構図を描いたわけだ。
政治資金規正法は、政治のカネの流れを「ガラス張り」にして、有権者たる国民の監視下におく意味をもつ。その法の趣旨を踏まえれば、多額なカネの虚偽記入が許されないのは当然である。
◆検察は詳細な説明を
近年、同法違反に問われたケースが目立つ。検察当局が規正法を積極適用しているとみられ、鳩山由紀夫首相や小沢氏をめぐる事件も、その流れの中にある。
その背景には、一九九五年の政党助成法の施行で、政治資金に税金が使われることにより、国民の厳しい目が向けられていることがある。規正法では最も重い罰則が「禁固五年」で、微罪とはいえない。
だが、証拠隠滅の恐れなどがあったにせよ、現職の国会議員を逮捕したことについては議論が絶えない。公民権停止、議員失職の可能性もあるだけに、事件の悪質性や重大性は大きなポイントだ。
つまり、ゼネコンから小沢氏側への「闇献金」はあったのか。その実態はどうだったのか。どこまで「政」と「業」の癒着を解明できたのか。その関係は看過できないほど悪質だったのか…。
検察は起訴段階でも、ゼネコンの「闇献金」に言及していない。しかし、事件の悪質性を示す核心部分である。検察が口を閉ざしたままの姿勢では、国民の理解や納得は得られまい。
小沢氏は記者会見で、土地購入の原資を「個人資金だ」と説明している。仮にそれが事実ならば、議員逮捕の是非について、さらに議論に火がつくことになろう。
◆政治責任の追及は必至
検察はすべての事件を捜査するわけではない。巨悪を剔抉(てっけつ)したり、一罰百戒的意味合いを込める場合もある。結果的に捜査が政治的な影響をもつのは宿命である。
それゆえに検察の公正中立は絶対でなければならず、公正さを疑われることさえあってはならない。また強大な国家権力の行使からも捜査に誤りがあってはならない立場だ。
民主党は、国民に選ばれた国会議員による「政治主導」を目指しており、捜査は「脱官僚主導」をつぶすための、検察の「暴走」との憶測も呼んだほどだ。
検察捜査に恣意(しい)的、政治的意図や誤りがあってはならないのはもちろんで、そうした信頼性を前提にしてメディアの報道もまた成立してきた側面を否定できない。
事件を通じて「メディアは検察と一体か」との批判がかつてないほど聞かれた。報道の公正さへの問い掛けの重みも、われわれは受け止めねばならない。
また、今回の事件では、政治家側が規正法に対する認識の甘さを露呈したともいえる。小沢氏は「報告書は秘書任せだった」と発言している。自らは起訴を免れたものの、側近らが起訴された重みをかみしめてもらいたい。小沢氏の政治的責任がいっそう追及されるのは必至だ。
多額な“タンス預金”、資金管理団体による不動産購入、政党交付金の謎…。小沢氏をめぐるカネについては、国民は異様なイメージを抱いたはずだ。捜査は終結しても、小沢氏にはまだ説明責任は重くのしかかる。
◆早急な法改正を求める
規正法の問題点もあらためて浮き上がった。収支報告書への政治家の監督責任を強化する必要がある。小沢氏も自著で「罰則強化」とともに「違反の言い逃れを封じるために連座制も強化する」と述べている。幹事長を続投する以上、選挙対策だけでなく、規正法強化にも尽力すべきだ。
民主党は、政治をゆがめてきたしがらみを断つため、企業団体献金の全面禁止を国民と約束している。鳩山首相はこれを機に政治生命を賭してでも、全面禁止を主導すべきだ。それが政権交代を望んだ国民の期待に応え、政治への信頼を回復する道でもある。
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