身長は一五〇センチほど。青年時代、肋骨(ろっこつ)を七本取る大手術を受けた影響で、上半身を右後方によじらせ、首を振る独特のポーズで国会質問に臨んだ。親しみと畏敬(いけい)から付いた愛称は<ねずみの殿様>▼明治から昭和まで衆院議員を務めた斎藤隆夫は一九三六(昭和十一)年、満州事変後の軍部の政治介入を批判した「粛軍演説」で、議場から万雷の拍手を浴びた。二・二六事件の直後、陸軍を批判する姿勢に世論も好意的だった▼「唯徒(ただいたずら)に聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し…」。四〇年二月二日、泥沼と化した日中戦争の処理策を問いただした「反軍演説」は陸軍の猛反発を招き、軍部におもねった議会は斎藤を除名処分にした。賛成二百九十六、反対七、棄権百四十四票だった▼「ほとんどの代議士が生命を惜しむようになってしまった。わしは武士が戦場で首を掻(か)かれるように国政壇上で生命を絶たれてもやるがね」。斎藤は地元の支持者に力強く語っている(草柳大蔵著『斎藤隆夫かく戦えり』)▼反軍演説から明日で七十年。斎藤は反戦主義者ではなく現実を直視する保守政治家だった。軍部の専横と政党の腐敗に言論の力で抗(あらが)った政党人があの時代にいた▼出身地の兵庫県豊岡市出石町の記念館「静思堂」を訪ねると、裏返して仕立て直した背広が掛かっていた。<ねずみの殿様>らしい質素な背広だった。