東京の銀座といえば日本を代表する繁華街。しかし江戸のころ商いの中心は日本橋だった。職人の家や小商いが多かった銀座は、日本橋に比べ「かなり見劣りする街であった」と都市史に詳しい初田亨氏は著書「繁華街の近代」に記す。
▼明治に入り、近くに新橋駅ができた。外国人が大勢来そうだと、政府が中央通りに洋風レンガ街を建てたのが今の銀座の始まりになった。新聞社が集まり、舶来品を扱う店が増え、百貨店も進出してきた。洋装のモダンボーイ、モダンガールらが闊歩(かっぽ)し、カフェーが並ぶ。博覧会場のような街だったのではないか。
▼「銀座の文化なんて、バラック文化で砂上の楼閣だ」と、昭和はじめの新聞記者、松崎天民は愛着を込め皮肉った。戦後もアイビーファッションの若者が集まったり、マクドナルドの1号店が店を開いたり。好況ならば高級ブランド、今は低価格の服。常に新しい役者が加わり、人々を呼び、王の座を守ってきた。
▼その銀座の玄関口から西武百貨店が撤退する。昨年は大阪の心斎橋でそごうが閉店した。今年も京都・四条河原町の阪急など大都市の繁華街から大手百貨店の看板が次々に姿を消す。変化を追い切れなかった店は舞台を去り、野心あふれる新興勢力に場所を空ける。活気ある街の掟(おきて)とはいえ、やはり寂しさはある。