鳩山由紀夫首相は就任後初の施政方針演説で「いのちを守る」政治を実現する決意を強調した。その理念は理解する。しかし、首相に今、問われているのは、理念を形にする実行力ではないのか。
「いのちを、守りたい。いのちを守りたいと、願うのです」
年一回、この時期に首相が内閣の基本方針を明らかにする施政方針演説。堅い内容が定番だが、鳩山首相演説は、これまでにない詩的な言い回しで始まった。
「いのち」という言葉は演説内で二十四回繰り返された。
子育てへの不安、自殺者を増やす厳しい経済状況、地域医療崩壊や年金への不安、人類を脅かす核や地球温暖化−。命をつなぐための障害は取り除きたい。そんな強い思いがあるのだろう。
夏の参院選を視野に、これまでの政権との違いを示す政治的思惑があったとしても、その理念の高邁(こうまい)さは十分に伝わってくる。
しかし、「理念先行」という決まり文句を、鳩山首相の施政方針演説にも使わざるを得ないことは残念で仕方がない。
政治に問われるのは、理念を形にした具体策の提示と、それを実現する政治力だ。それは、政権交代を経ても変わらない。
例えば、景気対策に万全を期す考えを示してはいるが、個別の政策を具体的に挙げて実現を確約するには至っていない。
首相は昨年十月の所信表明演説で、ガソリン税の暫定税率廃止を明言したものの、財源不足で事実上維持せざるを得なかった。
このことが政策実現の確約をためらわせているのなら、その責任は首相自身の政治力不足に帰す。
政策実現には財源が必要だが、二〇一〇年度予算案は税収よりも国債発行が上回る異常事態。国民が期待した事業仕分けによる財源捻出(ねんしゅつ)は七千億円に届かず、財政健全化については、財政規律のあり方を含む「財政運営戦略」を策定する方針に言及しただけだ。
肥大化した「官」をスリム化する「新しい公共」という概念も具体像は提示されていない。
「政治とカネ」の問題は、政治資金の透明化に向けて「開かれた議論を行う」と述べただけで、首相自身が乗り出して、指導力を示す気概は感じられない。
首相は年頭会見で「正念場の一年」と語った。政策遂行には悲壮な決意で当たるべきだ。「いのちを守る」は政治の基本だが、政治生命を賭すに値する理念である。
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