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「何でも時代のせいにしてりゃあ、そりゃあ楽だわな」。文化人としても知られた紀伊国屋書店の創業者田辺茂一(もいち)が、かつて語っていたと、先ごろの週刊朝日で読んだ。「時代」を「他人」あるいは「世の中」にしても、その意味はほぼ変わらない▼何でも自分以外の「せい」にしたがる甘えと未熟が、凝縮し、暴走したのがこの事件だっただろうか。東京の秋葉原で一昨年6月、無差別に17人を殺傷した加藤智大(ともひろ)被告(27)が初公判の法廷に立った▼遺族のいる傍聴席に深々と頭を下げたそうだ。犯行を認め、「申し訳ございませんでした」とわびた。償いとして事件を起こしたいきさつを説明するとも述べた。だが今後の裁判で「時代のせい」「他人のせい」を言い募るなら、むなしいばかりだ▼どんな事件にも背景はある。この凶行は時代の閉塞感(へいそくかん)を表す「記号」のようにも語られる。しかし、悲しみの深い遺族がせめて知りたいのは、一般論と「身内の死」をつなぐ被告の心身の軌跡だろう。その上でしか謝罪は成り立つまい▼警察庁によれば、全国で去年に起きた殺人事件は戦後最少になった。皮肉なことに、ネット社会で人間関係が希薄化したのが一因という可能性があるそうだ。特定の相手への動機が生まれにくい。そうなったで今度は、「誰でもよかった」が目立っている▼被告は世を恨んでネットへ逃げ、そこでも孤立した。「一線」を越えた軌跡は、一線を越えさせない知恵につながるだろう。再び誰かに繰り返させないことが、犠牲者へのせめてもの供養になる。