「よかったなあ。おい、おれはおまえのヒモになるぞ」。四回も芥川賞候補になりながら、受賞を逃した作家の故吉村昭さんはかつて、先に受賞を果たした妻の津村節子さんにそう語ったという▼先日発表された芥川賞は十一年ぶりの「該当作なし」。何度も苦汁をなめた吉村さんなら、落選した若い作家たちの気持ちがよく分かるはずだ▼でも、吉村さんが若くして芥川賞作家になっていたら『零式戦闘機』『桜田門外ノ変』などの記録文学の名作は世に出ただろうか。そう考えると、受賞しなくてよかったというのが一ファンの本音だ▼三十九歳の時、初めて書いた戦史小説『戦艦武蔵』が転機になった。十八歳の夏に終わった戦争を自分なりに見つめ直したいという強い衝動があったという。関係者に徹底して取材し、集めた資料を検証する。足で書く姿勢を貫いた人だった▼吉村さんの故郷の東京都荒川区でいま「記念文学館」をつくる計画が進んでいる。西川太一郎区長が生前の吉村さんに申し入れ、財政負担にならない範囲で、図書館などと併設する条件で承諾を得た▼段ボール百七十箱超の資料がすでに寄託され、二〇一四年度の完成を目指している。残された膨大な歴史的な資料を多くの人に活用してほしいと妻の津村さんは願う。生と死を見つめ続けた作家の遺産に、次の世代は多くのことを学べるはずだ。