<真白き富士の根 緑の江の島 仰ぎ見るも 今は涙 帰らぬ十二の 雄々しきみたまに 捧(ささ)げまつる 胸と心>。美しいメロディーと心に染みる歌詞の魅力は、百年の月日を経た今も色あせていない▼神奈川県鎌倉市の七里ケ浜沖で十二人が乗ったボートが沈んだのは、一世紀前の一九一〇(明治四十三)年一月二十三日。十歳から二十一歳の十二人が亡くなり、十一人が旧制逗子開成中学の生徒だった▼世の人々の涙を誘ったのは、強く抱き合ったままの状態で見つかった兄弟の遺体だ。「兄は死後も骨肉の情の護(まも)りも堅く、両手強直、全指を交互に強く交えて握りしめ、自己の双腕に全霊力を集めて弟を抱き居り」と当時の新聞は伝えている▼追悼大法会で「真白き富士の根」が鎮魂歌として歌われた。米国の作曲家ジェレミー・インガルスの曲に、鎌倉女学校(当時)の教師三角錫(すず)子が歌詞をつけた。戦前は松原操の歌でヒットし、映画にもなっている▼逗子開成中学・高校で先日開かれた「百年忌」で、鎌倉女学院高校の生徒がこの曲をアカペラで歌うのを聞いた。澄んだ歌声に、時代を超えた音楽の力を感じた▼サーフィンの「聖地」としても知られる稲村ケ崎には、兄が小さな弟を抱きかかえる像がある。西に江の島があり、天気が良ければ富士山を望める。目の前には七里ケ浜の穏やかな海が広がっている。