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江戸の昔に「投げ込み寺」と呼ばれる寺があった。たとえば遊女が死んでも手厚く葬られることは少なく、菰(こも)に巻くなどして寺に捨てられた。遊里に近い寺は遺棄が多い。だれ言うとなく「投げ込み寺」と呼ばれるようになったそうだ▼その一つ、東京の下町の浄閑寺には、安政江戸地震のとき、犠牲になった多くの人たちが投げ込まれた。ご住職によれば、大きな穴を掘って無縁の亡きがらを葬ったそうだ。境内の供養塔が往時の悲話を今に伝えている▼そんな哀史も思い起こさせる、中米ハイチの大地震の惨状である。現地に入った本紙記者の報告に胸が痛む。壊滅状態の首都近くでは、おびただしい遺体が溝に投げ込まれ、埋められているという▼年格好も性別も記録されず、ひたすら「処理」されているそうだ。やむを得ぬとはいえ「一人一人の死」はかき消されていく。そして、辛うじて生き残った者は「最悪の人道危機」(国連)のただ中にある。親を亡くした子らには人身売買の魔手も伸びている▼自然に厚薄はない、と言う。恵みも災いも、自然は人を分けへだてしないという意味だ。だが、自然は公平でも人の側に格差がある。最貧国を襲った地震は、豊かな国とは異なる残忍さで、生者を、死者をさいなんでいる▼阪神大震災の直後、被害の大きかった神戸市長田区で小学生の作文集が編まれた。それは「かみさまのいじわる」と題された。熱心なカトリック信者の多いハイチの人たちも天を恨んでいようか。神ならぬ人間同士の、いっそう手厚い支援が必要だ。