世に「自殺の名所」といわれる所がある。福井県坂井市の景勝地・東尋坊もその一つ▼断崖(だんがい)を見回るなどして、自殺防止活動を続けるNPOと地元企業が協力、人が近づくと赤外線カメラが感知して「どうなされましたか」などと自動で女性の「声」が流れる自殺防止装置を開発したのだという。携帯電話を通じ、例えばNPO会員の声も流せる仕組みだ▼少し前、この話を新聞で読み、思いだしたのは、御伽草子の『岩屋』で、過酷な運命をはかなんだヒロイン・対(たい)の屋(や)姫が入水(じゅすい)自殺しようとする場面。姫も亡母の「今一時(いっとき)待ち給(たま)へ」の声を聞き思いとどまる▼NPO代表の茂幸雄さんには断崖に立っている人を見れば、それと分かるそうだ。タイミングを計り「何しにきたんや」と声をかける。「今まで苦しかったんやろ」の言葉に泣き崩れる人も少なくないという。装置はまだ高価で設置例はないらしいが、人の声の力自体は分かる気がする▼<菰蒲(こほ)の深き処(ところ) 地無きかと疑えば 忽(たちま)ち人家の笑語の声有り>。山深い所へ来て行き止まりかと思ったら、突然、人家があり笑い声が聞こえてきた−。詩人の長田弘さんが自著で紹介する中国名詩の一節は、茂さんたちの活動と重なる▼もう行き止まりだと思い詰めた断崖の上だろう。だが、そこで耳にする、人の声。それは「まだ行き止まりじゃないよ」と教える声である。