HTTP/1.0 200 OK Server: Apache/2 Content-Length: 21647 Content-Type: text/html ETag: "c390c-548f-b0e98a80" Cache-Control: max-age=5 Expires: Fri, 22 Jan 2010 20:21:07 GMT Date: Fri, 22 Jan 2010 20:21:02 GMT Connection: close
アサヒ・コム プレミアムなら過去の朝日新聞社説が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
「ずるいんじゃないか、君」「なんで僕の目を見て言わないの」。DNA型鑑定をもとに検事が追及する。
「ごめんなさい。勘弁してくださいよお」。泣きながら否認を撤回し、被告は再び犯罪を告白する。
栃木県足利市で起きた女児殺害事件の犯人とされ、無期懲役で服役中に釈放された菅家利和さんに対する再審公判で、取り調べの様子を記録した録音テープが再生された。
身体への拷問によってではなく、精神的に追いつめられて「自白」したことがわかる。無実の主張が否定され続け、ついに緊張の糸が切れて犯人を演じる。これこそが、事件を犯してもいないのに、うその自供をしてしまう典型だと心理学者は指摘する。
自分がもし菅家さんの立場だったらと、背筋が寒くなる、恐ろしい事実である。
うその自供と犯行現場の状況には食い違う点もあった。検事自身が当時、菅家さんの「自白」に不自然さを感じている様子も録音からうかがえる。
ところが、検事は再び菅家さんを「自白」させてしまう。後に覆された精度の低い当時の鑑定で、菅家さんのDNA型と被害者の着衣に付いていた体液が一致していたこともあった。
しかし、自白偏重の捜査手法に頼るばかりに捜査官が自縄自縛に陥り、ほかの事実に十分目を配ることができなかったのではないか。その結果、冤罪を生むだけでなく、真犯人をも逃してしまった。
録音テープに登場した当時の検事は証人として出廷し、「犯人でなかったことを非常に深刻に受け止めている」と述べたが、菅家さんが求めた謝罪はしなかった。
だがこれは、一人の担当検事だけに責任があるのではなく、捜査当局全体の欠陥が、冤罪と捜査の失敗を生んだととらえるべきだろう。
警察と検察は、自白に頼る意識を捨て、客観的な証拠を集めて犯罪の立証をめざすという捜査の基本を徹底してもらいたい。密室での取り調べを全面的に録画録音する「可視化」は、そのための第一歩だ。
全面可視化を公約としてきた民主党内には、ここにきて可視化法案の国会への早期提出、成立をいう動きがある。だが、もしこれを小沢一郎幹事長の資金問題をめぐる検察への圧力に利用しようとするなら、まったくの筋違いである。
捜査当局は取り調べの一部を可視化したが、「事件の真相解明を難しくする」と全面実施には抵抗が強い。
しかし、意識と制度の改革がなければ、捜査と裁判への国民の信頼を失い、日本の治安の根幹が揺らぎかねない。足利事件捜査の大失敗はそれぐらい深刻に受け止めるべきものだ。
また、鳩山由紀夫首相の口から、びっくりする発言が飛び出した。
政治資金規正法違反容疑で東京地検に逮捕された民主党の石川知裕衆院議員について、語った言葉だ。
民主党として石川議員を処分するのか、それは起訴前か、起訴後か。一昨日、そうただした記者団に対し、首相は「仮定の話に答える必要はないかもしれませんが、起訴されないことを望みたいとは思いますが、どういう状況になるかをもって判断をしたいと思います」と語った。
検察庁も行政の一機関である。その行政のトップに立つ首相が「起訴されないことを望む」と発言すれば、字義通りにとれば大変なことである。検察の捜査への干渉、圧力、事実上の指揮権発動……。大げさに言えば、そんな言葉が浮かんでくる。
ただ、首相自身にはまったくそうした意図はなかったようだ。その後「捜査によって無実が証明されればいいという思いで述べた。捜査に介入する意図は毛頭持っていない」と釈明し、一夜で発言を撤回した。
無実であってくれれば、そもそも処分などを考える必要もないのだが。首相はこう言いたかったのだろう。若手議員への、党代表としての親心でもあったかもしれない。
しかし、これは通用しない。行政権力全体に責任を負う首相の立場をわきまえない、きわめて軽率、無責任な発言だった。
このところ首相の口は滑りがちだ。石川議員ら側近3人を逮捕した検察と「断固戦う」と宣言した小沢一郎幹事長に対し、「信じています。どうぞ戦ってください」と語った。
同志として励ましただけ、と首相は抗弁している。ただの友人ならそれでも通ろうが、今や民主党は政権党となり、鳩山氏はその指導者なのだ。公正中立な捜査を促しこそすれ、予断を与えるような発言は控える責任がある。自らの立場を忘れ、まるで私人であるかのような発言を懲りずに繰り返す姿には首をかしげる。
首相はきのうの衆院予算委員会でも小沢氏を「同志」と呼び、「信じたい」と繰り返した。一方で、信じる根拠は何か、首相に説明責任があるのでは、と問われたのには「個人的な政治資金の問題をすべて存じているわけではない。説明責任が生じるとは思っていない」とかわした。いかにも軽い。
首相として語るべきことは何か。地検の捜査については中立の立場を明言する。幹事長続投を了承した小沢氏に、記者会見や国会で説明責任を果たすよう促す。企業・団体献金の全面禁止の法整備を指示する。
もうひとつある。政権への信頼は、首相自らの政治資金問題でも揺らいでいることを忘れてもらっては困る。