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美しすぎる情景は、時に心を乱すものらしい。〈桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。何故(なぜ)って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか〉。梶井基次郎の短編小説「桜の樹の下には」の冒頭だ▼実際、墓石に代えて木を植える弔い方がある。やや神秘めくが、故人が使い残した精気のようなものが幹の中をはい上がり、葉を茂らせ、花や実をつける。そう考えれば、四季の営みもいとおしい。夭折(ようせつ)の墓ほど樹勢は強かろう▼命を自然に返すという点で、散骨にも通じる「樹木葬」。10年ほど前に岩手県のお寺で始まり、全国の民間霊園などに広まった。墓地不足に悩む東京都が、数年内に都の霊園に導入するそうだ▼民間より安い都立霊園は人気があり、今年度の公募は平均12倍の狭き門だった。都内では年に2万基の墓が新たに必要なのに、民間を含む供給はその3割にとどまるという。木の周りに何人かの遺骨を埋葬すれば、土地を有効に使え、緑化も進む▼都会では後継ぎのない人が増え、地方には世話をする人のいない墓も多い。「先祖代々」に入りたくない人もいる。慰霊の役目を木に、つまり地球に託すと思えば、墓を「守る」気苦労は幾らか軽くなろう▼石でも木でも、その前で合掌する行為が形ばかりでは、墓参りする意味がない。大切なのは愛する人をしのぶ装置ではなく、しのぶ心である。墓を持たない選択を含め、弔いの多様化はごく自然な流れといえる。思い出の温め方は、人それぞれでいい。