<西の海を越えて遥(はる)か日本から渡来した、頬(ほお)が日焼けし、刀を二本手挟んだ礼儀正しい使節たち、無蓋(むがい)の馬車に身をゆだね、無帽のまま、動ずることなく、きょうマンハッタンの街頭をゆく>(『草の葉』酒本雅之訳)▼万延元(一八六○)年、日米修好通商条約の批准書を交換するため、徳川幕府から派遣された日本使節団八十余人がニューヨークを馬車で行進した。それを見た米国の国民詩人ホイットマンは「ブロードウェーの華麗な行列」という詩にしている▼初めて日本が米国に使節団を派遣したのは、今から百五十年前。ペリー提督が開国を迫った七年後になる。太平洋戦争という不幸な歴史もあったが、両国は緊密な関係を築いてきた▼きのう、改定の署名から五十年を迎えた日米安全保障条約は、日本が基地を提供する代わりに米軍に守ってもらう軍事同盟の根幹だが、沖縄の普天間飛行場の移設問題がいま焦点になっている▼強まっているのは、県内移設を政府が直ちに受け入れなければ、日米関係が悪化するという批判だ。政権交代で外交政策を見直すのは当然で、百五十年に及ぶ両国の関係は、それほど脆弱(ぜいじゃく)なのだろうか▼全米で熱狂的な歓迎を受けた武士たちをホイットマンは<使命を帯びた日本の貴公子><動ずることなく>と称賛した。政府は、毅然(きぜん)とした姿勢で臨めばよい。幕末の先達のように。