HTTP/1.1 200 OK Date: Thu, 14 Jan 2010 21:16:49 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:戦後生まれなので、空襲のことは知らないけれど、惨状をリアル…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2010年1月14日

 戦後生まれなので、空襲のことは知らないけれど、惨状をリアルに想像できたことが一度ある。十五年前の一月十七日の夜、六千四百三十四人が命を失った阪神大震災で、焼け野原になった神戸市長田区の被災地に立った時だ▼ケミカル産業工場や木造の住宅が密集していた下町の大半が焼失。炎が夜空を焦がし、燃えた建物の黒々とした残骸(ざんがい)を映し出すのを見て、「空襲の後のようだ」という言葉が自然に出てきた▼真夜中、NTTの鉄塔が倒れる恐れがあり、避難先の小学校から移動する被災者を取材した。足を痛めたおばあさんを背負おうとしたが、小柄なのに持ち上げられなかった。絶望に打ちのめされた人は、石のように重かったのを覚えている▼先日、長田の被災地を十五年ぶりに歩いた。震災を想起させる痕跡はほとんどない。道路は拡幅され、震災後に建てられた一戸建てやマンション、公営の高層住宅が目立つ。「知らない人は、地震で何百人も亡くなった地域だとは分からないだろうね」と住民は語る▼焼け焦げた跡を残す二本のクスノキが公園にすっくと立っていた。<類焼とめて 尚生き残る 楠(くすのき)の大木>と地域のかるたに詠まれている▼復興の名に隠れて、震災の傷跡を残すシンボルはほとんど失われた。いまも住民に勇気を与えている老木を見た時、失われた命の重みをあらためて心に刻んだ。

 

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