新成人、おめでとうございます。今日から大人。ちょっと照れくさいけど、この国を一緒に元気にしませんか。この国には今、元気な大人が必要です。
「泣きながら生きて」は、そこに描かれる家族同様、特別な運命を背負った“映画”です。
もともとは、四年前の十一月に一度だけ放送された民放テレビのドキュメンタリー番組でした。
岐阜県飛騨市出身の中村俊喜さんがそれを見たのは、慶応大に入学した年のこと。三年生になって就職活動に行き詰まりを覚えた時、その感動をふと思い出したのが、映画化のきっかけでした。
◆同世代に見せたくて
再放送が見たいとか、DVDにしてほしいとか、そんな個人の希望だけではありません。日本中が不景気に負けそうなご時世だから、ひとりでも多くの人に、特に同世代に見てほしいという願望が、中村さんの背中を強く押したのでしょう。番組のプロデューサーを説き伏せて、異例の劇場公開を実現させました。
卒業した高校の学園祭や商店街での上映会からスタートし、“映画”は今や、首都圏を中心に中部地方などへも広がる勢いです。中村さんが多くの人につないだ“映画”。それはこんなお話です。
上海に住む中国人の三人家族。父親は一九八九年、三十五歳で進学を志し、小学四年生の娘と妻を残して、単身で北海道の語学学校へ入学します。ところが、経済的な理由で学業を続けることができなくなり、留学の夢を一人娘に託して東京で働きます。
成長した娘は、ニューヨーク州立大の医学部に合格します。
十五年間一度も帰国することなく、皿洗いや清掃など三つの仕事を掛け持ちで娘の学費を稼ぐ父。夫に続いて最愛の娘を遠い異国に送る母。かみしめる家族のきずな、そして再会−。カメラは十年の長きにわたり、三人の涙と笑顔を交互に記録し続けます。
◆人生のバトンを渡すまで
「(人生という)リレーのバトンを持って、長い距離を走れるだけ走って、最後にそのバトンを娘に渡したいのです」と、父親は働く理由を語ります。ニューヨーク渡航前夜、「これからあなたは、自分一人の力でやっていかなければなりません」と娘に諭す母。
「あなたを支えているものは何ですか」と問われ、「未来へのあこがれです」と答える娘。
今の日本では、流行遅れになってしまったシンプルなメッセージ。なぜか、心を引かれます。
父親がその人生を懸けた日本も、深刻な不況の真っただ中、新聞の紙面には「閉塞(へいそく)感」とか「先細り」とか、新年早々、不安げな見出しばかりが目立ちます。
加速する超高齢化、降り積もる国の借金、崩壊する社会保障、暗黒の就職難、止められない温暖化…。すべて、旧世代が残した負の遺産、次世代の将来に重くのしかかる問題です。
でも、新成人の皆さん。私たちはこれらの難問を、皆さんにただ先送りするわけにはいきません。より良くたすきをつなごうと、今この瞬間にも坂道で必死にあがく走者は、少なくありません。
とはいうものの、人はだれもが、過去から未来へ「つながるいのち」のひとかけら。皆さんもいつかは必ず、次世代への責任を担わなければなりません。それには準備が必要です。成人の日は、人生というたすき渡しの助走が始まる日。「頼む人」から「担う人」への分かれ目なのかもしれません。
ニューヨークで学んだ娘は、産婦人科医になりました。次世代にいのちをつなぐ仕事です。
「両親から受け取った、重い、重い、リレーのバトン。そのバトンの意味を〓(りん)さん(娘の名)は知っていました」とナレーション。バトンを娘に渡し終え、帰国を決めた父親は、「第二のふるさと」になった日本に感謝をこめて、こんな言葉を残します。
「十五年前日本へ来た時、人生は哀(かな)しいものだと思った。人間は弱い者だと思った。でも、人生は捨てたものじゃない」。時代を恨み、運命を嘆くより、未来を信じることを選んだ人(“映画”のパンフレットから)の言葉です。
そう、いろいろ難しいこともあるけれど、人生は結局、捨てたものではありません。
◆今の時代に負けないで
だれかを支えてあげるのも、何かに責任を負うことも、ただ面倒なだけには終わりません。だから皆さん、今の時代に負けないで。がんばり過ぎず、へこたれないで、このまま助走を続けてほしい。私たちも、人生はやっぱり捨てたものじゃない、まんざらじゃないと思えるような出来事を、日々探し続けていますから。
この記事を印刷する