HTTP/1.0 200 OK Age: 1 Accept-Ranges: bytes Date: Mon, 11 Jan 2010 22:21:32 GMT Content-Length: 10499 Content-Type: text/html Connection: keep-alive Proxy-Connection: keep-alive Server: Zeus/4.3 Last-Modified: Sun, 10 Jan 2010 14:39:51 GMT NIKKEI NET(日経ネット):社説・春秋−日本経済新聞の社説、1面コラムの春秋

音声ブラウザ専用。こちらより記事見出しへ移動可能です。クリック。

音声ブラウザ専用。こちらより検索フォームへ移動可能です。クリック。

NIKKEI NET

社説 未来への責任(最終回) 若者の意欲と力をもっと引き出そう(1/11)

 今年の元日を20歳で迎えた新成人は127万人。うち125万人が平成生まれだ。団塊世代が「戦争を知らない子供たち」なら、新成人を含む今の20代や30前後の若手社会人は「バブルを知らない子供たち」だ。

 頭数が少ないうえ消費意欲も低い。元気がないなどと批判される。本当だろうか。団塊世代が戦前と異なる戦後日本を生きたように、新しい環境のもとでの社会と自分の成長の道を探っているのではないか。

30代市長が続々誕生

 各地の自治体で、若手の首長が続々誕生している。30歳代の市町村長は現在19人。このうち6割は2009年に初当選した。地方議員から役人、会社員など、出身は様々だ。

 若返りには理由がある。公共事業の削減が続いたことで、これまでの候補者のように「中央とのパイプ」を訴えても、住民の心に響かなくなった。代わって若手政治家の清新さや突破力が期待を集めている。

 共通するのは自治体財政への危機感だ。三重県松阪市の山中光茂市長(33)は市役所の正面に市債残高を刻々と表示する電光掲示板「借金時計」を設置し、職員削減と人件費抑制を打ち出した。政令指定都市では史上最年少で当選した熊谷俊人・千葉市長(31)も、財政危機を宣言し行財政改革に取り組む。仲川げん・奈良市長(33)は事業仕分けによる無駄の洗い出しに乗り出した。

 年長の首長にも優れた人は多く、ただ若ければよいわけではない。しかし地方分権が進まない一因に、陳情などを通じ国に頼りがちな首長の姿勢があった。住民の視点を掲げる若手は、この点で大きな可能性を秘めてはいまいか。

 若者が閉塞(へいそく)感の突破口を探る先は政治だけではない。

 社会起業家と呼ばれる新種のベンチャーが次々に生まれている。働く親に代わり病気の幼児を一時預かる。将来に悩む高校生らに話し相手となる大学生を派遣する。創作家志望の若者に低廉な賃貸住宅を用意する。補助金に頼らず中心市街地を活性化する――。すべて20代の若者が近年設立したベンチャーの実例だ。

 社会問題の解決にビジネスの手法を応用するのが社会的企業だ。利用者や市場の動きに敏感なのが強み。効率と満足度の高い福祉や街づくりの担い手として期待される。若者らの参加で、事業は年々着実に拡大している。寄付や起業を後押しする税制などを工夫し、はぐくみたい。

 英国は1990年代から「小さな政府」政策と並行し新たな公共サービスの供給者として社会的企業を支援している。事業者数5万、市場規模5兆円超、雇用規模77万人に育った。米国でも有名大学生の人気就職ランキング上位に社会的企業が顔を出す。「日本の潜在市場は英国より大きい」と経済産業省はみる。

 縮小する消費市場でも、若者の力を生かし、ヒットを生んだ例が多い。日産自動車の「キューブ」、三菱自動車の「i」は若手社員を開発や販促に起用し成功した。「速そうに見えない外観デザイン」など、自動車会社としては思いもつかなかったひらめきを商品化した。それが若い消費者の心をとらえた。

 若者が萎縮しているとしたら、年長者にも責任がある。バブル崩壊後の「失われた20年」で活躍の舞台が狭まってしまったからだ。

採用や教育も変えよ

 経営陣や候補者にも若い世代を起用したい。過去の成功体験に縛られず、先を見据えた大胆な改革に取り組む指導者を育てるのも、年長者が果たすべき仕事である。

 若手首長が増えた背景に、政党が候補者の公募制を取り入れ、地盤のない若者が地方議員になりやすくなったことがある。選挙権年齢の引き下げは、人口の多い高齢者の利害を強く反映しがちな政治の舞台に、若者の声を生かすことに役立つ。

 企業の社員採用は新卒の一括採用がまだ標準である。新卒での就職が困難な時期に社会に出た若者は、能力開発の機会を得られぬまま年齢を重ねかねない。社会にとっても大きな損失だ。新卒一括採用に代わる仕組みを真剣に模索すべきである。

 教育も変わらないといけない。日本の高校や大学は職業生活の準備の場という機能が弱体だ、と本田由紀・東大大学院教授は指摘する。高校や大学は教養や人格教育と並行し、もっと実践的な知識や技能を学ぶ場になる必要がある。実践教育は若者には既存企業への就職から起業まで多様な道を開き、企業の人材育成コストを減らせる。

 国や企業にすべてをゆだねていれば幸せになれる。そんな時代は終わったと若者は心得ている。こうした若者の意欲や力を引き出すことが社会と企業の活力につながる。

社説・春秋記事一覧