年初なので国家の計を考えます。それも一年の計でなく長期の計を。私たちの決意しだいで日本の「不戦百年」は、実現可能な国家の大計です。
いまや日本人の四分の三が「戦争を知らない世代」(正確には「戦争を体験していない世代」)です。それだけ長いこと、日本は戦争をしてこなかったことの証明でもあります。
太平洋戦争終結から今年で六十五年。第二次世界大戦で連合国と戦って敗れた日独伊枢軸のうち独伊両国は、その後、湾岸戦争などに参戦していますから過去六十五年、「不戦」を文字通り実践しているのは日本だけです。
◆夢想家か、予言者か
一方、勝利した主要国では米国が朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、対イラク戦争、アフガン戦争など、英国がフォークランド紛争や対イラク戦争、ロシアがアフガン侵攻やチェチェン紛争、中国が朝鮮戦争や中越戦争といった具合に第二次大戦後も戦闘行為を続けています。特に米国は、その後も三年に一回は戦争をしている勘定になるといわれるほどです。
こうした中で、わが国が後方支援としての自衛隊参加はあっても直接、戦闘行為をしないでこられたのは憲法九条(戦争放棄)と国民の強い平和希求意識によるところが大です。
「戦争放棄」条項の発案が幣原喜重郎首相なのか、マッカーサー元帥なのかは両説ありますが、一九四六(昭和二十一)年一月二十四日の会談で、両者が「国際紛争解決の手段としての戦争の廃止」で一致したことは、ともに認めています。マ元帥の証言によれば幣原首相は別れ際に「世界はわれわれを夢想家と笑うでしょうが、百年後には予言者といわれるでしょう」と述べたとのことです。
◆安保運用で日米にずれ
あと三十五年、日本が戦争しなければ「不戦百年」の実現です。「戦争の世紀」といわれた二十世紀において日露戦争終結から日中戦争開戦までの三十二年間も、出兵や戦闘を繰り返していたのと比べて戦後六十五年間の不戦期間がいかに長いかが分かります。
この背景には憲法九条による専守防衛政策のほかに、米国の「核の傘」や在日米軍基地の存在があったことも無視できません。
独立国らしく自国で完結する安全保障政策を、との理屈も成り立ちますが、それを実現することが果たして賢明な選択なのかは大いに議論の余地があります。各種の世論調査によれば、むしろ米国と協力して日本の安全を確保するのが現実的と考えている国民が大多数のようです。
問題は、その根幹をなす日米安保条約の運用をめぐって両国間で意識のずれが拡大していることです。すなわち日本国民の多くは同条約を日本の安全を守るための米軍の協力に関する規定と考えがちですが、米側はアジアをはじめ世界的に自由主義社会を守るための日米協力条約ととらえていることです。湾岸戦争、イラク戦争、アフガン派兵などで米側が自衛隊の出動へと圧力をかけてきたのも、こうした観点からでした。
わが国が今後長期に「不戦」を堅持するためには、戦闘行為以外の協力で米国を納得させる具体的措置が欠かせません。
今年は安保改定から半世紀。日米間で安保の再定義をするとすれば、ここが最大のポイントです。安保のグローバル化に伴って日本が「派兵」以外で協力しようとすれば後方支援のほか「戦争要因の除去」でさらに貢献度を強める必要が出てくるでしょう。
「民主主義国家間での戦争はない」といわれるように、国の民主化、成熟化が進むと戦争という愚挙は避けようとの意思がお互いに働きます。「政治の近代化」を具現した姿といってもいいでしょう。政治、民族、宗教上の対立やテロで紛争が絶えず、米国が派兵を余儀なくされる国々に日本としては民生支援、近代化支援といった形で戦争要因の除去活動を積極的に行うべきです。
核兵器廃絶を目指すとのプラハ演説で昨年ノーベル平和賞を受賞したオバマ米大統領ですが、年末の受賞演説では「正しい戦争」論を展開して欧州をはじめ多くの人々を失望させました。過去に日本が行った戦争も当時の政府、軍部、そして国民の大半も「正しい戦争」との認識でした。これを持ち出せばすべての戦争が正当化される危険性が大です。戦争をしないという行為を長期に維持、実践することこそ正しい道です。
◆ノーベル平和賞受賞を
あと三十五年。この国が「不戦の一世紀」を達成すれば、間違いなく日本国がノーベル平和賞を受賞するでしょう。世界平和のモデル国家を「戦争を知らない世代」が中心になって実現することを切望します。
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