「総理、“小部屋の紙”のことですが、あの取り扱いだけはくれぐれも注意して下さい」「うん。君、あれはちゃんと処置したよ」▼沖縄返還交渉で、当時の佐藤栄作首相の「密使」として、キッシンジャー大統領補佐官と秘密交渉をした若泉敬氏(京都産業大元教授、故人)は一九九四年に刊行した著書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』で生々しいやりとりを明かした▼「小部屋の紙」とは、六九年十一月十九日の首脳会談後、ニクソン米大統領の執務室の横の小部屋で両首脳が署名した二枚の文書。若泉氏によると、有事の際、沖縄への核持ち込みを日本側が保証する合意議事録だった▼四十年前に、「処置」されたはずの文書を佐藤元首相の遺族が保管していたことが明らかになった。密約の存在を裏付ける決定的な証拠だ。嘉手納、辺野古…。文書には核兵器の再持ち込み先として、現在も基地がある具体的な地名が挙げられている▼元首相は配備されていた核兵器を撤去させ、再度の持ち込みには事前協議をする「核抜き本土並み」を強調していたが、合意文書によって協議は有名無実にされた▼佐藤元首相は「非核三原則」などが評価され、七四年にノーベル平和賞を受賞した。「持ち込ませず」との矛盾を隠すために密約を選択した政治家に、平和賞を受ける資格が本当にあったのか。あらためて問うてみたい。