足利事件に続き布川事件の再審が始まることになった。ともに、捜査官が容疑者からとった自白を薄弱な証拠で“補強”して無期懲役の重罰を科した確定判決が見直される。
両事件が教えるのはまず、自白偏重の捜査・裁判が冤罪(えんざい)の温床であること。そして、容疑者をウソの自白に追い込む無理な捜査をなくし、裁判で自白の任意性・信用性を正しく判断できるようにするには、取り調べを録音・録画する「可視化」が必要ということだ。
1967年に茨城県利根町布川で発生した強盗殺人事件の犯人として2人の青年が起訴された。2人は捜査段階の自白を翻して無実を訴えたが、最高裁まで1度も無罪判決は得られず収監された。
仮釈放後に起こした2回目の再審請求が通ったのは、新たな法医学鑑定を地裁、高裁、最高裁が「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」と認めたからだ。犯人が被害者を殺害した方法について、自白内容と合致しない鑑定結果だったのである。
さらに地裁、高裁は自白調書全体を調べ直し、取り調べのやり方を批判した。「虚偽の自白を誘発しやすい状況の下でなされた疑いがある」(地裁)、「検察官の並々ならぬ誘導の結果と推察される」(高裁)。
再審請求裁判で検察側は、2人が犯人ではない可能性が生じる、いくつかの証拠を初めて開示した。捜査の過程で得たこうした証拠を無視して、自白させる調べに力を注いだのは「見込み捜査」にほかならない。
また、有罪を確定させた裁判で法廷にこれらの証拠を出さなかったのは、公益を代表し真相究明に努める検察の義務に反するのではないか。
DNA鑑定の問題が注目された足利事件も誤判の根本には「見込み捜査」「自白偏重の捜査・裁判」がある。日本の刑事司法がそこから脱却するために、裁判員裁判の導入は好機であると考えられ、実際、検察、警察は裁判員制度に合わせ、取り調べの一部を録音・録画し始めた。
布川事件の再審請求裁判では自白の一部を録音したテープが証拠提出された。ところが、地裁、高裁とも自白の信用性を証明するものではないとの評価を下した。一部だけでは「可視化」にはならないのである。