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民主党の小沢一郎幹事長が鳩山由紀夫首相に対し、来年度予算編成と税制改正に向けた要望書を手渡した。
業界団体や自治体から受けた約2800件の陳情を踏まえたものだ。小沢氏は「全国民からの要望だ」とし、可能な限り反映するよう首相に求めた。
その内容は、陳情をただ列挙したわけではない。18の重要政策に絞り、具体的な方針を明示した。中には総選挙で掲げたマニフェストと異なるものも含まれている。
公約といっても、具体化にあたっては経済情勢や実情に応じて中身や実施時期を見直すのはありうることだ。
ガソリン税の暫定税率廃止について、現在の租税水準を維持するとした。公約違反という批判はあるかもしれないが、不況による大幅な税収見込み減や地球環境への悪影響を考慮すれば、現実的と言えるのではないか。
一方、看板政策である子ども手当では所得制限の導入を打ち出した。財源不足を考えてのことだろう。どの程度の制限を設けるかはこれからだが、子育ては社会全体で担うという理念や方向性を見失っては元も子もない。
民主党は「コンクリートから人へ」の大方針を掲げてきた。だが要望書には、整備新幹線早期開業のための予算や高速道路整備の推進、公共事業にあてる自治体への交付金創設が盛られる一方、保育所の待機児童への言及はない。方針がかすんだ感は否めない。
見過ごせないのは、陳情のとりまとめと称して、党が政策の優先順位決めや予算配分に大きな影響力を行使する形になった点だ。
民主党は、予算編成などで与党が強力な発言力をもった自民党政権時代の二元的な仕組みを改め、内閣に一元化すると言ってきた。責任の所在を明確にし、意思決定の過程を透明にしようという狙いである。
ところが、今回のやり方では、だれがどのような基準で項目を選び、なぜそういう結論に至ったのか皆目わからない。著しく透明性に欠ける手法だ。
政府が要望をそのまま受け入れれば、有権者の目には、小沢氏が政策を最終的に決める権力を握っていると映ってしまうだろう。
ただ、政策決定に党がかかわる背景には、閣僚ら政務三役がそれぞれの省の立場を主張するばかりで、なかなか結論を出せない政府の迷走もあろう。官僚による調整をやめたのはいいが、首相や国家戦略相、官房長官が調整できず、小沢氏が助け舟を出して方向付けをした。そんなふうにさえ見える。
大事なのは、首相が要望を踏まえつつも縛られず、政権の大方針に沿っているかを精査し、自ら決めていくことだ。さもないと政治の透明性は貫けないし、鳩山、小沢の「二元体制か」という疑念がさらにふくらんでいく。
奈良県で母子3人が焼死した事件を題材にした単行本をめぐり、放火した長男を精神鑑定した医師が秘密漏示罪に問われた裁判で、大阪高裁は一審の奈良地裁に続き有罪判決を下した。
当時16歳だった長男や父親の供述調書の写しなどを、単行本の筆者に見せたという罪である。
刑法の秘密漏示罪は、医師や弁護士らが業務で知った秘密を正当な理由がなく漏らした責任を問うものだ。それが初めて適用された事件についての司法判断は、2度の「有罪」となった。
少年審判は非公開で、長男の成育歴など高度な個人情報の含まれる調書が一般に公表されることはない。
裁判で医師は、筆者から頼まれて調書などを見せたことを認めたが、「正当な理由」があったと無罪を主張した。「調書などを見せることによって、長男が広汎性発達障害で殺意がなかったことを報道してもらおうと思った」というのがその理由だ。
だが、高裁判決は「調書はプライバシーにかかわる情報であり、個人的な見解からその秘密を漏らす行為が、長男の利益になるとは到底いえない」と医師の主張を退けた。
この事件は、逃亡の恐れもない医師の逮捕に奈良地検が踏み切るなど、異例ともいえる展開をたどった。
そもそも報道の自由にからむ問題に捜査当局は介入すべきではない。少年の更生やプライバシーの保護と表現の自由が対立するような問題では、解決を民事訴訟に委ねるべきである、と改めて言わざるをえない。
この高裁判決でお墨付きを得たとばかりに、捜査当局がなし崩し的に報道や表現の自由に介入することがあってはならない。それによって取材協力者やメディアが萎縮(いしゅく)すれば、報道の自由、ひいては国民の知る権利が脅かされてしまう。その危険性については繰り返し指摘したい。
一方、筆者と出版元の講談社の責任も見過ごせない。医師との間では「調書はコピーせず、直接引用もしない。原稿は点検させる」と約束しながら、調書を撮影したうえ、問題の単行本はほとんどがその調書の引用だった。
そうした調書の入手を売り物に、長男や家族のプライバシーに踏み込みすぎ、情報源を守るという基本を忘れてしまった。そんな報道のあり方について、一審判決は「取材のモラルに数々の問題があった」と指摘した。
ただし一審判決は「それで直ちに取材行為が違法とするのは困難」とも述べ、報道の自由を尊重した判断を示していた。高裁判決はそうした点には一切触れなかった。
医師はただちに上告した。プライバシーの保護と報道、表現の自由という二つの価値がぶつかりあう問題に最高裁は正面から向き合ってもらいたい。