「学問のすゝめ」を書いている最中、筆が少々過激に及んだことを気にしたのだろう。福沢諭吉がこんな手紙を知人に出している。「此節(このせつ)は余程(よほど)ボールド(大胆)なることを云(い)ふもさし支えなし。出版免許の課長は、肥田君と秋山君なり」
▼本の検閲を担当する文部省の両課長は慶応の教え子だった。2人が請け人(保証人)になってくれるから大丈夫。それが威勢のいいことを書いた諭吉の腹づもりだった。政治家や官僚なら、これくらいの計算はして当たり前だろう。小沢民主党幹事長と羽毛田宮内庁長官。さて、2人はどんな腹づもりだったのか。
▼天皇陛下と中国副主席の会見をめぐってやりあう2人の腹づもりが、よく分からない。小沢さんは「日本国憲法の精神」を訴えながら、「陛下に聞いてみたら、必ず『会いましょう』とおっしゃると思う」と言ったそうだ。政治家がコトを運ぶのに天皇の意思を持ち出すのは、歴史が教える禁じ手ではなかったか。
▼羽毛田さんもルールをないがしろにされた無念は分かるが、自身が内閣の決定に責任を負っている。官邸への不満を吐き出せば、天に唾(つば)しているようにも聞こえる。「皇室と政治」というデリケートな問題だ。大胆な言い合いは結構だけれど、今回の発言の応酬はいささか鈍感で無神経。そんな気がしてならない。