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企業年金―減額のルールを考える

 日本航空が企業年金の3割カットを受け入れてほしいと、約9千人の退職者に説得を続けている。日航は政府に企業再生支援機構を通じた公的支援を要請中だが、その可否を年金問題が左右しかねない状態だ。

 企業年金は、退職金や積立金を分割して受け取る仕組みだ。企業が一定の利回りを約束している。日航では4.5%を約束していたが、超低金利や世界不況で3千億円超の積み立て不足が経営の重荷になっている。

 だが、退職者について減額するには、経営の著しい悪化や、対象者の3分の2以上の同意が必要という厳しい条件がある。また、同意を得ても、希望者には減額前の水準で一時金を支払う義務がある。

 日航の事例に関心を寄せる人は少なくあるまい。大きな積み立て不足を抱えた企業は日航ばかりではない。

 実際、「会社がつぶれては年金も出せない。経営実態に応じて、減額などの変更をもう少し柔軟にできるようにすべきだ」という声が、経営者の間にある。給料削減などに見舞われている現役社員も、退職者の年金が手厚く守られる状況に、複雑な感情を抱くかもしれない。

 一方、公的年金と相まって老後を支える企業年金を重く見る立場からは、受給権を十全に保護しなくてはならないという主張も根強い。

 企業の経営悪化を理由に、年金の減額について経営者と退職者、社員が合意した場合、減額の是非を判断しているのは厚生労働省だ。

 しかし、行政が的確な判断を下すのは、至難の業だ。そもそも、経営状況の判断を厚労省の裁量に任せることが適切かどうか、についても疑問の余地は大きい。

 このため、裁判で争われるケースも出ている。減額が承認されなかったNTTグループは、裁判を起こし係争中である。

 こうした現状を克服していくために、より客観的で具体的な基準を設けられないだろうか。企業の損益や、公的支援の必要度、株主や債権者の負担状況などだ。

 経済環境は激変した。減額の理由が客観的な基準に照らして合理的であり、当事者の合意が成り立っているなら減額を認める、といったルールを決めるべき時代ではあるまいか。

 個人の老後を考えれば、年金の受給権は強く保護される必要がある。だが、経済危機のもとでの環境変化にどう対応するか、労使間で幅広く議論しておくことも有益だろう。

 ただし、企業年金のうち、社員が会社に預けた退職金に相当する部分は賃金の後払いであり、減額の対象とすべきでない。企業が高い利回りで上乗せを約束した部分などに限るべきだ。

法制局答弁―法で禁じるべきことか

 国会では官僚を答弁に立たせない。与党3党は来年の通常国会でそのための法改正を実現させるという。

 自民党政権時代、予算委員会などで各省の局長らが答弁するのは日常的な風景だった。閣僚として与党政治家が最終責任をとる形にはなっていても、実質的に政府を切り回しているのは官僚たち。そんな官僚依存の政治の実態をあらわすものだった。

 それを改め、国会を政治家同士による議論の場にしようという意図には賛成である。その前提として、民主党が目指すように、政治家が各省とその政策を掌握する「政治主導」の実現があるのはもちろんだ。

 ただ、一つ疑問な点がある。内閣法制局長官も答弁できなくなることだ。公正取引委員長や人事院総裁らは内閣からの独立性が高いため「政府特別補佐人」として答弁を認めるが、法制局は内閣の一機関にすぎないとして、例外とはしないという。

 これはどうだろう。内閣法制局はこれまで、政府の憲法解釈の重要なよりどころとなってきた。長官を答弁から外すことで、政治主導で9条の解釈を自在に変えようという狙いだとすれば再考を求めたい。

 この改革に熱心な小沢一郎幹事長は自民党にいたころから、国連活動への参加なら武力行使も合憲と主張し、違憲とする法制局とぶつかってきた。自民党内では長官の罷免論が出たこともあった。

 民主党は、法案を審議する委員会とは別に、官僚や有識者の意見を聴く場を設け、そこでなら長官も発言できるとしている。だが、合憲か違憲かが問題になるような法案の場合、そうした別の場での聴取で十分といえるのかどうか、疑問が残る。

 もともと、政府の憲法解釈は内閣が決める。それでも歴代内閣が法制局を尊重してきたのは、憲法解釈が時々の政権の判断でくるくると変わるのは好ましくないと考えたからだろう。

 政権の意向に沿って解釈を変えたり、広げたりしてきたことがないわけではない。1950年代には自衛隊の保有を合憲とした。イラクへの自衛隊派遣では「非戦闘地域なら合憲」という理屈をあみだした。

 だが同時に、積み上げてきた解釈の延長上で、矛盾しないぎりぎりの線にとどめるという自制も利かせてきた。

 国会で答弁させたくなければ、与党の判断でそうすればいい。なぜ、法律で禁止しなければいけないのか、その意図は何か、どうにも腑(ふ)に落ちない。

 国会改革ではもっと優先すべき課題がある。たとえば、会期を事実上廃止して国会を通年化し、不毛な「日程闘争」を封じることだ。どうすれば真の論争の場にすることができるか、そこから改革の順番を考えるべきだ。

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