改名すること実に十六回。落語家の古今亭志ん生は売れない時代が長く、極貧生活を夫人が内職で支えてきた。昭和の初めに、約八年間過ごした東京・業平橋の「なめくじ長屋」での暮らしぶりは、今では想像できない▼湿地帯に立っていた長屋だけに、連中はどこからか家の中に入ってくる。「出るの出ねえのなんて、そんな生やさしいものじゃァありません。なにしろ、家ン中の壁なんてえものは、なめくじが這(は)って歩いたあとが、銀色に光りかがやいている」(『びんぼう自慢』)▼大きいのは約一五センチ。塩をかけてもびくともしない。「背中に黒い筋かなんか走っているのが、ふんぞりかえって歩いている。きっとなめくじの中でも親分衆かいい兄ィ分なんでしょうねえ」▼約八十年後、長屋があった場所の目と鼻の先に「東京スカイツリー」が建設中だ。すでに高さは二百三十メートルを超えた。完成時は世界一の六百三十四メートルとなる。なめくじ長屋で育った長女美濃部美津子さん(85)は「うそみたいだね」とその変わりように驚く▼長屋の住人は情が厚く助け合って生きてきた。貧乏でも他人をうらやましいと思ったことはない。「今でもああいうところがあれば、引っ越していくよ」と美津子さん▼「貧乏はするもんじゃありません。味わうものですな」。貧乏暮らしも、すべて芸の肥やしにした名人らしい言葉だ。