コペンハーゲンで開幕した気候変動枠組み条約第十五回締約国会議(COP15)は、質量ともに史上最大規模だ。政治合意にとどまらず、より高い目標をめざす議論と希望がもてる成果を望む。
二年前のバリ(COP13)で決まったロードマップ(行程表)に従って、コペンハーゲンでは「ポスト京都」の約束、すなわち、法的拘束力のある新たな議定書を結ばねばならないはずだった。
しかし、一九九八年のブエノスアイレス(COP4)から続く、先進国と途上国の対立は解消されず、新議定書採択は不可能と判断された。その代わり、国内での批准がいらない「政治合意」をめざし、ポスト京都の採択は、来年のメキシコ(COP16)に先送りするというのが、今の流れだ。
京都議定書は九七年に京都(COP3)で採択されたが、二〇〇〇年ハーグ(COP6)の決裂、翌年のボン再開会合を経て、マラケシュ(COP7)で運用ルールが決まるまで計四年かけている。それを一気に詰めるのだから、まだ悲観的になることはない。
だが、もちろん余裕もない。最新の科学による見解では、遅くとも二〇年までに温室効果ガスの排出量を頭打ちにしておかないと、温暖化による大きな被害は避けられない。経済的損失も膨大なものになる。そのためには、先進国のさらなる削減義務と途上国の削減行動が欠かせない。両者が協調して役割を果たさねば、結局は「国益」だって守れない。
COP15には世界約百カ国の首脳が集う。参加者は一万五千人に上る。関心はこれまでになく高い。誰もがこの会議の大切さを知っていて、成功を願わない国はない。だとすれば、その「科学の要求」に沿うような議論を展開すべきだ。それが大前提になる。
先月末、米中二大排出国が、相次いで二〇年までの削減目標を公表し、両国主導で会議が進むという見方も強まった。が、その目標は、到底“大国”にふさわしいとは言い難い。参加を歓迎するあまり、京都議定書の削減レベルから絶対に後退してはならない。
「五〇年までに九〇年比50%削減」が、政治合意の原案の一部として挙がっている。しかし、二〇年の成果がなければ、五〇年の目標は絵に描いた餅(もち)と化す。二〇年までの有効な削減義務を明記した新議定書の早期採択に、道筋をつける会議でなければ意味はない。
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