日銀が臨時の金融政策決定会合を開き、新たな金融緩和策を決めた。先に決めた緩和打ち止め策が誤りだったことを証明した形だ。政府・日銀はデフレ脱却に本腰を入れて取り組まねばならない。
日銀が一日に突然、金融政策決定会合を開いた背景には、鳩山由紀夫首相が近く白川方明日銀総裁と会談して、デフレ対策の強化を求める意向を示している事情がある。菅直人副総理や藤井裕久財務相も量的緩和に言及し、日銀に対応を促していた。
白川総裁は「デフレの定義はいろいろある」などとかわしていたが、経済協力開発機構(OECD)が「デフレとの戦い」を求めたのを機に政府がデフレを宣言し、日銀も逃げ切れなくなった。
この間、日銀が何をしていたかといえば、十月三十日に社債やコマーシャルペーパー(CP)買い取りの年内終了を決めたばかりだ。追い詰められた日銀が前回の緩和打ち止め策と相反する形になっても、今回、社債とCPに国債も担保に加えて緩和策を決めたのは、政府と歩調をそろえる以外になかったからだといえる。
遅きに失したとはいえ、政策路線の変更は適切だ。だが、政府に迫られた末の路線変更は日銀の信認を傷つける。判断の誤りが重い代償を支払う結果になった。
白川総裁は十一月三十日の講演で、ようやく「緩やかなデフレにある」と認めたが、肝心のデフレの定義については、依然としてあいまいなままだ。戦う相手の正体をはっきりと認識せずに、何と戦うというのだろうか。
根本の認識がぐらぐらしているようでは、日銀の意図は伝わらず、政策の効果も望めない。この際、日銀はデフレをどう考えるのか、そのためにどんな役割を果たす決意なのか、あらためて国民と市場に説明すべきだ。
日銀の対応が不十分だったからといって、政府も免罪されるわけではない。先に緩和打ち止めを決めた政策決定会合には政府の代表も出席していた。その気になれば、政府には決定延期を求める権限がある。権限を行使しなかったのは、政府の認識も不十分だったことを裏付けている。
要するに、政府も日銀もOECDから指摘されるまで、物価下落について極めて甘い認識だった。ドバイの金融不安を政策変更の理由に挙げているが、その前から物価は継続的に下落していた。政府・日銀に猛省を求める。
この記事を印刷する