秋空のどこからか、1匹のトンボが飛んで来る。羽を休めようと、ふと選んだ場所が悪かった。武将が立てた槍(やり)の先っぽにとまった途端に、スーッと真っ二つ。戦国時代の三河の名将、本多忠勝が愛用した長槍「蜻蛉切(とんぼきり)」の逸話である。
▼岡崎公園にその複製が展示してある。長さ6メートルもあったらしい。戦場ではさぞ目立ったことだろう。忠勝は関ケ原の戦いまで57回もの合戦に加わったが、一度も手傷を負わなかった。「蜻蛉切」を遠くからみとめると、敵の雑兵はあわてて逃げ出したという。槍というより、忠勝の存在が恐ろしかったに違いない。
▼触れれば切れるという伝説が、道具の持ち主をさらに強くする。通貨の番人である財務省と日銀はどうだろう。世界中にあふれたマネーが暴れる外国為替市場は、現代の戦場だ。通貨当局の腰には、為替介入という名刀がある。むやみに振り回すのは考えものだが、切れ味が悪いと見られているとすれば情けない。
▼過去に介入で手痛い目にあった銀行の外為担当者から、こんな思い出話を聞いた。日銀との直通回線のランプが点滅すると、背中に冷たいものが走る。「いまいくらですか」と聞かれれば、介入の合図。その無機的な声が恐ろしかったという。日本経済を守る番人の任は重い。常に恐れられるほどの凄(すご)みがほしい。