行政刷新会議の事業仕分けがヤマ場を迎えている。予算編成の透明化が進んだのは画期的だ。一方で、与党議員が要求側と査定側に分かれ「政権の意思」が見えにくい難点も浮かび上がった。
会場となった東京都新宿区の国立印刷局体育館には連日、多くの人々が傍聴に詰めかけている。小学生を連れた母親は「この子が『気になるニュース』を日記に書いているので、見学に来た」と語る。白熱した議論をレシーバーで聞いた女の子にとってナマの財政や政治に触れるこれ以上の機会はないに違いない。
これまでの議論を通して、霞が関の役所が配下にある独立行政法人や公益法人に多額の基金を積み立て、天下りした役人OBに高額の給料を支払っていた仕組みが明らかになった。
たとえば、食生活改善事業に農林水産省と厚生労働省が別々に法人の事業費を要求する。国民から見れば、縦割りの省庁がそれぞれのOBを養うために法人をつくっているとしか映らない。こうした構造は霞が関全体に広がっているが、実態が覆い隠されてきた。
「モデル事業」として始まった仕事が目立った成果を挙げないのに、何年たっても終了せず、実質的に恒久化されている例も経済産業省資源エネルギー庁をはじめ次々と明らかになった。一度手にした予算は翌年度以降も手放さない役所仕事の悪弊である。
今回の仕分け対象になった以外の事業でも、こうした例はたくさんあるはずだ。ことし限りにせず、来年度以降も残る事業の見直しをぜひ続けてほしい。
副大臣や政務官として政府に入った与党議員は刷新会議の仕分け人とは反対に、予算獲得を目指す発言が目立っている。要求官庁の一員として当然かもしれないが、無駄や非効率の根絶を掲げた政権を担う立場からはどうなのか。
本来は政治家が仕切るべき仕事を権限のない民間人が仕分けしている。もとはといえば、政治家が要求段階で十分に削減できなかったからだ。作業の手順や政と官、民間仕分け人の役割をあらためて見直す余地がある。
科学技術予算の削減について、ノーベル賞受賞者らが「科学技術で世界をリードする方針と整合性がない」と批判している。たしかに、どんな研究が花開くのか、費用対効果を事前に見極められない分野もある。このあたりも仕分け作業を受けて、政治が判断する領域である。
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