科学にめっぽう弱い身としては、ノーベル賞受賞者の業績の話は難物だ。日本人が賞を射止めれば嬉(うれ)しい。快挙を祝いたくなる。しかし「分子の不斉合成」とか「対称性の破れ」などと聞くともうお手上げだ。ただ感心するのみである。
▼そんな高邁(こうまい)な研究にいそしむ先生たちが怒っている。事業仕分けで科学技術予算が次々に削られるのに我慢がならなくなったらしい。「歴史という法廷に立つ覚悟があるのか」と激越な批判が飛び出し、学者も大学学長もそろって記者会見する事態だ。きのうは6人のノーベル賞受賞者が鳩山首相に直訴に及んだ。
▼研究者たちの危機感は分かる。むやみに予算を削っては角を矯(た)めて牛を殺すことになる。とはいえ、この分野はとりわけ世間の目が届きにくいのだ。本当に無駄はないのか、どうしてもそれだけのカネが要るのか。ノーベル賞の業績を聞いてぽかんとするほかない門外漢にも、税金の行方を詮索(せんさく)する権利はあろう。
▼事業仕分けが万能なわけではないが、こんどの騒動はアカデミズムの砦(とりで)からあれこれを引っ張り出し、世の風にさらしただけでも意味はあった。すわ一大事、と先生たちが出てきて論争が始まったのも仕分けの効果だろう。さて政権はどうまとまりをつけるか。目を凝らして、苦手な科学を少し勉強するとしよう。