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11月18日付 編集手帳

 〈世は()の毒の入れ物〉とは作家で評論家、和田芳恵さんの言葉である。いまから10年ほど前、信州・諏訪湖畔に「平林たい子記念館」を訪ねたとき、壁に飾られていた和田さんの色紙を見かけ、書き留めて帰った◆天台宗の僧、源信の「往生要集」に〈我は悲の器なり〉という一節が見えるが、それと対をなす言葉だろう。悲しみを盛る器が人であるならば、人の寄り集まって暮らす世の中が気の毒の入れ物であるのもうなずける◆千葉県市川市で英国人女性(当時22歳)の遺体が見つかった事件に、二つの言葉を思い返している。最も気の毒なのは被害者であり、被害者の両親であるのは当然として、死体遺棄容疑で逮捕された市橋達也容疑者の両親も悲しみの器には違いない◆逮捕から1週間、市橋容疑者は出される食事に、一切、手をつけていないという。絶食の意図が何であるにせよ、事件を引き起こし、2年7か月にもおよぶ逃亡生活を送った上に、さらに健康の心配までさせなくては親不孝がまだし足りないらしい◆すでにあふれかけているだろう両親の器に、これ以上、悲しみを注ぐのはやめておけ。

2009年11月18日01時34分  読売新聞)
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