日米間の核兵器や基地にからむ密約。目下、新政権が調査中ですが、一体だれのための密約だったのか。またここから学ぶべき教訓とは何でしょうか。
外交の内部調査というと、戦後まもなく宰相吉田茂が敗戦の外交上の失敗を若手外交官に調べさせた文書「日本外交の過誤」(二〇〇三年公開)が思い出されます。
箱根の吉田の別荘に呼ばれた課長はチームを作り、当時の大臣や大使らに聞き取りをしました。吉田は失敗の理由を知り、日本外交を立て直そうとしたのです。
◆日米共同声明の裏側で
さて密約の実態は学者らが米国公文書などから徐々に発掘してきました。核兵器関連に絞れば、岸信介、池田勇人、佐藤栄作の三政権とエドウィン・ライシャワー元駐日大使発言で起きたこととなるでしょう。
発端は一九六〇年の安保改定でした。極東米軍は特定地域の核の存在は肯定も否定もしない、いわゆる核のあいまい戦略をとっていました。一方、岸政権は選挙でも国会でも「核兵器の持ち込みは認めない」と公約していました。
この矛盾を覆い隠すため用いられた方策は、核持ち込みに関する秘密議事録を交わしたうえで、岸・アイゼンハワー共同声明が米国は日本の意思に反し行動する意図はないと述べることでした。これが密約の始まりです。
ところがその三年後、池田政権は核弾頭搭載の原潜は日本に寄港しないと国会答弁していました。あわてたのは米国。ライシャワー駐日大使は親しかった大平正芳外相を朝食に招き密約の存在を教えます。持ち込みとは陸揚げ・貯蔵で寄港とは違うという説明です。
次いで佐藤政権は沖縄返還に際し「核抜き本土並み」を唱え「持たず、つくらず、持ち込ませず」の非核三原則を掲げました。
◆ホワイトハウスの密室
しかし後に明らかになったところでは、佐藤・ニクソン両首脳は返還協定調印に合わせホワイトハウス執務室横の小部屋で、緊急時には事前協議のうえ沖縄に核を持ち込む、また通過させるという密約を結んだのでした。
密約はより精緻(せいち)になり、つまりますます奥深くへ隠さねばならなくなったということです。
ではこれは国益か、それとも裏切りか。結論を急ぐ前にライシャワー発言を振り返りましょう。
大使を終えたライシャワー博士は八一年、日本のマスコミに対し、核兵器を積んだ米軍艦船はそのまま日本に寄港している、と明言しました。その前に、元海軍提督が同じことを述べていましたが、重大事をあいまいのままにしておけば、日米相互不信にもつながるというのが親日家の博士の一貫した姿勢でした。
ここまで振り返ると、密約に対する日米の差異がまず分かってきます。米国は密約があっても国民にうそはつくまいとし、日本は国民に“知らしむべからず”を貫いています。
ライシャワー発言が大騒ぎになっても、当時の宮沢喜一官房長官は博士の記憶違いではないかととぼけ、逆に米国のアレクサンダー・ヘイグ国務長官周辺は元大使の守秘義務違反を唱えました。事実を知らぬと言うのか、それとも事実の露見を恐れるのか。両者は似ているようで正反対です。国民を恐れるのか、そうでないのか。自民党長期政権は恐れる必要がなかったのでしょう。
先に述べた「日本外交の過誤」には、調査に当たった外務省員の論評が付属していて、その一つは「外務省が内政上の基盤をもたず国民と遊離していた」と言っていました。当時の国際情勢の現実を国民に何も伝えられなかったという悔悟です。リアリスト吉田に言わせれば、世論を味方にできず、軍部に負け、戦争にも負けたといったところでしょう。
そう考えるのなら、世論を味方にするどころか密約でだまし続けた日本の歴代政権とは一体何だったのでしょうか。
密約のもたらす一つめの教訓はその過誤を調べて知り、それを今後の外交に役立てねばならないことです。これは外務省調査として進行中ですが、国民の視座を忘れず徹底して表に出してほしい。
◆外交機密も国民のもの
もう一つの教訓は、外交機密とはいえ、その情報は、もともとが主権者たる国民のものであるということの再確認です。外務省の倉庫には山ほどの外交文書が眠っているといいます。国会や学者の要請で、米国並みにおおむね三十年を経過した外交文書を開示する原則はありますが、開示・不開示は外務省が判断し、実際には知りたいことが知らされていません。
繰り返しますが、外交機密も国民のものです。外務省には開示の義務と責任があるのです。
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