
HTTP/1.0 200 OK Server: Apache Content-Length: 59120 Content-Type: text/html ETag: "ff4c9-15e2-f2384000" Expires: Wed, 11 Nov 2009 20:21:09 GMT Cache-Control: max-age=0, no-cache Pragma: no-cache Date: Wed, 11 Nov 2009 20:21:09 GMT Connection: close
![]() 森繁久弥さん 戦後と共に歩んだ名優の逝去(11月12日付・読売社説)味わい深い名演技で親しまれ、国民的なスターとして活躍してきた俳優の森繁久弥さんが亡くなった。96歳だった。 戦後の映画、演劇界を 昭和の時代がまた一つ遠くなったという感慨を抱く人も多いのではないか。心からご冥福をお祈りしたい。 森繁さんが俳優として最初に注目を集めたのは、1952年の映画「三等重役」に始まる一連の喜劇映画のシリーズだった。 会社を舞台に、人間の弱さや本音をコミカルに演じ、戦後復興期から高度成長期にかけてのサラリーマンの共感を得た。 喜劇俳優として出発したが、人間味あふれる独特の演技は、その枠にとどまらなかった。 映画やテレビ、演劇の舞台で、頑固な父親から重厚な政治家まで様々な難しい役どころを自在にこなした。ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」は、ライフワークとして20年、900回にわたり舞台を踏み続けた。 北海道のロケ地を訪れた際に作詞作曲した「知床旅情」は、大ヒットし今も歌い継がれている。 文化勲章を受章した際には「私が門を開くことで、後の人たちが通りやすくなりました」と喜ぶ一方で、「この門はあまりにも狭すぎます」と述べている。 早稲田大学在学中から演劇活動に身を投じてきたが、軍事教練に反発して大学を中退した。 アナウンサーとしてNHKに入局後、旧満州(現中国東北部)の放送局に移った。終戦直後、ソ連軍に一時的に拘束されたものの、かろうじてシベリア抑留の危機を逃れている。 「役者はピンとキリを知っていれば、真ん中は誰でもできる」。ある名優に言われたこの一言が、自身の役者人生に大きな影響を与えたと、森繁さんは著書の中で回想している。 死線を越えて「キリ」は身に着けたが、「ピン」を知ることは難しい。真ん中の生ぬるいところに安住していたのでは、そこに人生の哀歓も深みも何もないのではないかと述べている。 数々の名演技は、起伏に富んだ人生の苦労と努力に裏打ちされていたのだろう。 戦後日本の芸能史と共に歩み、人々に励ましや安らぎを与え続けてきた巨星が逝った。 (2009年11月12日05時04分 読売新聞)
東京本社発行の最終版から掲載しています。
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