HTTP/1.1 200 OK Date: Thu, 12 Nov 2009 03:16:46 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:落語家の古今亭志ん生は敗戦前、旧満州(中国東北部)で知り合…:社説・コラム(TOKYO Web)
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【コラム】

筆洗

2009年11月12日

 落語家の古今亭志ん生は敗戦前、旧満州(中国東北部)で知り合った若者に声を掛けた。「あんたは、こんなところでマゴマゴしている人間じゃァないよ、東京へ来て、寄席へでも出たら、きっと売り出すよ。あたしが太鼓判押したっていい」(『びんぼう自慢』)▼青年は寄席芸人にはならなかったが、大衆芸能の分野で初めて文化勲章を受章するなど日本を代表する役者になった。一昨日九十六歳で亡くなった森繁久弥さんだ▼NHKのアナウンサー試験に合格し満州に渡ったのは一九三九年。ラジオドラマを手掛け、取材と台本書き、ナレーションを一人で何役もこなした。マルチな才能は満州全土を駆け回った七年間で磨かれた▼八四年に本紙で連載された『この道』では、封印していた敗戦後の体験をつづった。飢えや感染症で息絶えた大勢の子どもたちを馬車に積み上げ、草原の中の穴に埋めたこともあった▼その時、抗議した友人は、ソ連兵に撃ち殺された。引き揚げ船では、ソ連に仲間を売ったとされる男がリンチを受け、海に投げ込まれる場面も隠さずに書いた▼敗戦から半世紀後、満州の地を訪ねる。何もかも変わっていたが、大地に落ちる真っ赤な夕日は何も変わっていなかった。森繁さんは、夕日に向かって大きく手を振った(『青春の地はるか』)。名優の原点はこの広い大地にあったのだと思う。

 

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