新井白石も悩んだ。本居宣長も大いに首をひねった。明治になってからは学者たちの議論が一段とかまびすしく、謎解きに憑(つ)かれた郷土史家や考古学ファンは今も数知れない。女王・卑弥呼が治めたという邪馬台国の所在地論争である。
▼罪作りなのは古代中国の史書「魏志倭人伝」ではあろう。なにしろその記述は女王の国への道程があやふやだ。南へ南へ「水行十日陸行一月」などと書いてあるから正直にたどると列島のはるか南海上に出てしまう。先人はこれを誤記だ、方角の勘違いだと様々に解釈し、畿内説と九州説の対立に輪をかけてきた。
▼雌雄を決する物証なのだろうか。奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で3世紀前半の遺構らしい大型建物跡が見つかった。これほど巨大な建物は卑弥呼の宮殿に違いないと畿内派は興奮気味だが、九州派はそもそもの年代を疑ってやっぱり収まらない。ワクワクする発見だが勝負あった、とまでは参らぬところがまた魅力だ。
▼「本格政権」とか「首長連合の可能性」とか、発掘をめぐる研究者らの見立ては現実政治を説くように生々しい。なのにそこに果てしないロマンを感じさせるのは茫々(ぼうぼう)たる時間の力だろう。じつは邪馬台国は倭人伝が記したとおり、どこか南の海にぽっかり浮かんでいたのかもしれない。ふとそんな夢想もよぎる。