江戸時代の天明年間、嵐に遭った土佐の船乗り四人が八丈島の南約三百キロの鳥島に漂着した。アホウドリが繁殖する水のない絶海の孤島。仲間を次々と失った男は孤独に耐え、後に漂着した男たちと船を造り十二年後に生還する▼作家の吉村昭さんは、史実を基に綿密な取材を重ねて歴史小説の傑作『漂流』を書いたが、現代にも奇跡的な生還劇があった。八丈島の沖で連絡を絶った漁船「第1幸福丸」が遭難から四日ぶりに発見され、転覆した船内から三人の乗組員が救出されたのだ▼台風20号の通過で、第三管区海上保安本部が捜索を一時中断した時、生存者がいると感じた人はどれだけいただろうか。船室の居住区にいた三人は、潜水士が船底をたたいて呼び掛けると、コンコンと応じた▼漁船は台風の激しい波浪の中、木の葉のように大きく上下に揺れたはずだ。水も食料もない中、じっと動かずに体力の消耗を防いだことや、水温が平年より高かったことが幸いしたようだ▼ナチスの強制収容所から生還した心理学者のビクトル・フランクルは『夜と霧』で、生きていても何にもならないと考え、頑張り抜く意味を見失った収容者は「あっという間に崩れていった」と振り返っている▼暗闇の中、希望を捨てずに救助を待ち続けた気持ちの強さに胸が熱くなる。あきらめないという強い意志が、奇跡を呼び寄せた。