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10月28日付 編集手帳

 演芸評論家の矢野誠一さんが東京で初めて桂米朝さんの独演会を企画したのは昭和40年代の初めである。プレイガイドにポスターを持っていったとき、係の女性が「桂米朝ドカタ落語会」と読んだという話が残っている◆上方落語は戦後、漫才人気の陰で死にかけていた。半分忘れられた(はなし)を古老たちから吸収し、現代に通じる笑いのセンスで洗い上げ、高座にかけて全国区の隆盛に導く――それを一人で成し遂げたのが米朝さんである◆上方落語ファンの心を代弁する言葉を司馬遼太郎さんの随筆から引く。〈私は上方落語の不毛期に育ち、成人し、人生の晩年になって米朝さんという巨人を得た。この幸福をどう表現していいかわからない〉(文芸春秋「以下、無用のことながら」)◆米朝さんに文化勲章が贈られる。落語家では初の受章という◆「おお、こっちィ入りいな。まあここへ座り」。そのひと言で、世話好きの甚兵衛さんやあわて者の喜ィ公が目の前に現れる。83歳のご高齢だが、いつまでも達者でいていただき、司馬さんが語った“同時代を生きる幸福”に末永く浸らせてもらうことを願っている。

2009年10月28日01時23分  読売新聞)
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