国会が緊張感あふれる場になるとしたら願ってもないことですが…。「官僚の答弁禁止」。発信源は「脱官僚依存は国会から」という小沢一郎さんです。
政権奪取を果たし、いまや、存在感で他を圧します。文字通り、鳩山民主党政権の最高実力者といったところでしょう。
その小沢幹事長。主宰する「政治塾」の塾生たちに熱く語っています。「議会制民主主義における国会は、すぐれて野党が政府・与党と対決する場だ」「われわれが与党でいる間に、野党が十分な情報と資料を得ることができる仕組みを国会につくりたい。そうしないと民主主義は機能しない」
◆お説は誠にごもっとも
政治権力を裏から操る二重支配だとか独断専行だとか、数々の批判にさらされて久しい人ですが、政権交代が可能な二大政党制と議会制民主主義の定着を唱え続けてきたのは確かでしょう。
自民党打倒、政権交代の十数年来の夢を実現したいま、小沢氏は喫緊の責務の一つに「国会改造」を据えたようです。好機到来、いまこそ本物の審議活性化を、と。
そしてここが“マスコミ嫌い”の小沢氏らしいのですが、党機関紙のインタビューで「この臨時国会では、官僚が政府参考人として答弁することを禁止する国会法の改正に取り組む。脱官僚依存というからにはこれが一番」と、いきなりの花火でした。
「官僚答弁禁止」の真意は、著書や最近の記者会見でも繰り返し語られています。誠にごもっともな説なので、つまみ食いですが、あらためて一部を紹介します。
▽官僚ではなく大臣や副大臣が国会答弁することで政治家が自分の政策に責任を持つ▽ところが自分の言葉や信念で話すのでなく役人の作文を読み上げているだけ▽これでは官僚政治からの脱却などいつまでもできるはずがない−。
◆標的は内閣法制局長官
官僚依存は政治の怠慢というわけです。実は官僚答弁禁止は小沢氏が自由党党首だった時の自民党との連立政権で「政府委員制度」を廃止させていて、一般の官僚は国会が求めた場合にのみ「政府参考人」として出席します。
答弁させたくないなら呼ばなければいいのですが、当時の国会法改正は首相や大臣を補佐する「政府特別補佐人」として人事院総裁や公正取引委員長らのほか内閣法制局長官を例外扱いしました。
記者会見で小沢氏はいっています。「内閣法制局長官も官僚じゃないのか。官僚でしょう。官僚は(審議の答弁者に)入らない」
小沢氏の正論に“劇薬”が含まれているとすれば、この内閣法制局長官の答弁排除です。
内閣法制局は閣議にかかる法案や条約案と他の法律との整合性などを審査し首相や大臣に意見を述べる、行政府の一つ。そして歴代法制局長官は自民党政権下、例えば集団的自衛権行使や自衛隊海外派遣といった憲法九条にかかわる安全保障分野などで、政府の憲法解釈を国会に示してきました。
その法制局長官答弁をなぜ標的にするか。側近が記しています。
一九九〇年、イラクのクウェート侵攻による湾岸危機に際しての小沢発言。当時は海部政権の自民党幹事長でした。「憲法九条の解釈運用をめぐって各省間で混乱し内閣法制局が従来の解釈にこだわっているため、これが海部首相をがんじがらめにしている。自民党内も、冷戦終結後の深刻になる国際政治に新しい発想で臨む腹がない」
多国籍軍への自衛隊の参加主張は結局退けられて、日本は自ら汗を流さず何でもカネで解決しようとする国に見られるようになった、というのが小沢氏の執念の源らしい。
内閣法制局は二〇〇三年のイラク戦争をめぐり「自衛隊が活動する地域は非戦闘地域だ」との小泉首相のわけのわからない理屈も追認していますから、憲法の番人とはお世辞にもいえないのですが、法制局の憲法解釈が、海外での武力行使に一定の歯止めとなってきたのはやはり否定できません。
共産党や社民党が、現行法でも原則禁止の官僚答弁をさらに縛れば国会の国政調査権を侵害する、などと反発しているのは、集団的自衛権行使を可能にする意図を疑ってのことに違いありません。
前例踏襲の役人臭は鼻についても戦後積み重ねられた九条解釈です。これを取り払って専ら政治家に解釈論議を委ねるとしたら、時々の政権の気ままに国民が翻弄(ほんろう)されることにならないでしょうか。
◆理想と現実のギャップ
それ以前に政治家たちが十分な見識や能力、バランス感覚を備えているか。そこが問題です。
理想を説く正論と現実の間の大きなギャップをどう考えるか。だから荒療治で政治家を鍛える、国民も理解を、というなら、小沢氏は国会の演壇に立つべきです。
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