HTTP/1.1 200 OK Date: Sun, 25 Oct 2009 02:17:56 GMT Server: Apache/2 Accept-Ranges: bytes Content-Type: text/html Connection: close Age: 0 東京新聞:一九八七年十一月十八日のプロ野球ドラフト会議の二日前、東京…:社説・コラム(TOKYO Web)
東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社説・コラム > 筆洗 > 記事

ここから本文

【コラム】

筆洗

2009年10月25日

 一九八七年十一月十八日のプロ野球ドラフト会議の二日前、東京・日比谷にあった中日ドラゴンズ東京事務所から、薄い壁で隔たれた隣の編集の部屋まで怒鳴り声が聞こえてきた▼野蛮な人たちだなあと思っていたが、後で一位指名をめぐり、星野仙一監督とスカウトたちが激論していたと聞いた。投手指名から切り替えて一位に選んだのは立浪和義選手(40)。南海(現ソフトバンク)と競合したが、星野監督が当たりくじを引き当てた▼他チームの一位指名は、長嶋一茂(ヤクルト)、伊良部秀輝(ロッテ)、武田一浩選手(日本ハム)ら。一七三センチ、六八キロ。きゃしゃな体の少年が長嶋茂雄、落合博満選手らの通算安打数を抜き去り、二塁打の日本記録をつくると誰が予想しただろうか▼二十二年間の現役生活で最後の打席は、きのうのクライマックスシリーズ第四戦の最終回。左飛に倒れて、ベンチに戻る立浪選手に超満員の東京ドームの観客席から、割れんばかりの拍手が送られた▼正式な引退表明の際、「守ること、走ることが衰えてきたので、そろそろ潮時と思った」と語った。代打ならまだまだ活躍できると思うが、彼の美学が許さなかったのだろう▼ミスタードラゴンズの勇姿が消えるのはさみしいが、「第二の立浪」を育成し、巨人に立ちはだかるチームをつくる指導者としての大事な仕事が待っている。

 

この記事を印刷する