景気底打ちの兆しが見えなかった二〇〇一年冬、仕事を失い野宿生活を余儀なくされたホームレスの人たちが、東京都大田区の多摩川河川敷にあふれていた▼約二カ月間通って取材した。いまも記憶に残っているのは、空き缶を集める時、最初は人にどう見られるかが気になったが、自らを「透明な存在」として消すことにしたと語っていた六十代の男性だ▼景気は徐々に回復に向かったが、大企業は正社員から非正規社員への置き換えを始める。〇四年の製造業への派遣労働の解禁がその「号砲」になった。気付くと、非正規雇用は労働者の三分の一以上を占め、年収が二百万円に届かない人が一千万人を突破していた▼国民の中の貧困層の割合を示す指標である「相対的貧困率」が初めて公表された。〇七年の調査で15・7%。この数字は七人に一人は貧困状態にあることを意味している▼経済協力開発機構(OECD)加盟三十カ国中、米国(17・1%)などに次ぐワースト四位。長妻昭厚生労働相の指示で、初めて厚労省が独自試算したという。基礎統計なしに政策立案はできないはずだが「貧困の定義が定まっていなかった」などの理由で政府としては試算もしていなかった▼一人親家庭の貧困率は、日本が先進国で飛び抜けて高い(約58%)とのOECD報告もある。貧困を「透明な存在」にしてはいけない。