60年前のきょう10月21日、日本映画界を代表する女優、田中絹代が芸術親善使節としてアメリカへ飛び立った。まだ戦後4年だ。興行もこなし、ハワイやハリウッドを3カ月回って帰国した彼女を迎えたのは、しかし、冷笑の嵐だった。
▼「宮本武蔵」のお通のイメージだという和服姿で出発した絹代は、大変身していた。髪を切り、アフタヌーンドレスに銀ギツネの半コート、ベレー帽、サングラス、さらに投げキッス。その「アメリカかぶれ」に、メディアは占領下の屈折した対米感情の格好のいけにえをみつけだした。そして、右へならえ――。
▼「女優はいつも世の中の先端を歩かなくてはならない宿命も背負わされている」。25年後、絹代は「私の履歴書」にこう書いた。訪米中写したフィルムを編集した記録映画「田中絹代の旅立ち」(梶山弘子監督)が最近完成した。見ると、人形のようでもありながら、強烈に伝わるのは女優だという意志と覚悟だ。
▼俳優の仲代達矢さんによれば、世の中には男と女のほかに女優がいる。真の女優は女性である前に女優なのだそうだ。老け役のため39歳にして前歯4本を抜いたという絹代は筆頭格だろう。ことしは生誕100年。主演作を上映中の東京・京橋のフィルムセンターに並んだ遺品に向かって、60年前の非礼をわびる。